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同年八月に落成式を迎え当時、同窓会長だった林ひで=高女9回、故人=は、後に「一番の思い出」と振り返った。林は二十三年から三十七年までの復興期に会長を務めたが、よほど会館の完成がうれしかったらしい。 会館の建設計画は、戦前にもあった。同窓会が会員から一人十円ずつ集めた建設基金を設けたこともあった。しかし、この基金は作左山校舎の校庭取得のために使われたという。 戦後、建設が再び具体化したのは二十七年。同窓会による募金が開始された。目標額の百五十万円には届かなかったが、第一期で七十四万円、第二期で四十一万円を集めた。二十九年には校庭の一角に「同窓会館建設予定地」の標識を建てた。 同窓会の意気込みとは逆に、計画は順調とは言えなかった。予定地も変更し、林は「会長の無力無能もののしられ、批判されたりで、苦しかった事、悲しかった事もありました」と、曳馬野だより(同窓会報)の中で述懐している。 会館は、生徒たちが宿泊実習や茶道部などのクラブ活動、同窓生たちがクラス会や宿泊施設としても利用した。同窓会事業の柱の一つともなった結婚相談所もここで開設された。 結婚相談は会館完成当初から始まった。相談員は担当の常任理事。月二回、男性側と女性側からの相談を受け付けた。相談員を長年務め、その後、第五代会長にもなった杉浦幸子(78)=高女37回、栄町=は「学校に卒業生をぜひお嫁さんに、と頼む人が多かったので同窓会が始めることになったのでは」と語る。 五十年代に相談員を務めた杉浦は「相談日は二階の和室がいっぱいになった。経歴や写真などを載せた申込書も常時、百枚ほどはあった」と盛況ぶりを証言した。昭和四十七年は十カ月間で四百十七人の相談者があり、三百四十七人が結ばれた、という。 結婚相談所は同窓会館取り壊しとともに平成十一年十二月に閉鎖された。 (文中敬称略)
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