浜松市立高100周年

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 第3章 「復興・新生」 (11)

21人で同楽会スタート


市立高同楽会の第一回演奏会に出演した会員たち=昭和37年4月7日

 昭和三十七年四月七日、浜松市民会館ホールで第一回市立同楽会の演奏会が開かれた。当時のプログラムによると、出演者は十人。ピアノ独奏から始まり、ヴァイオリン独奏、アルト独唱、箏曲独奏などを披露した。

 同楽会の発足は前年の三十六年暮れ。音楽科教諭の相曽敷(のぶ)子(88)=坪井町=が教え子にかけた呼び出しの電話から始まった。国立音大を卒業したばかりだった大久保具子(63)=高8回、佐鳴台=は同窓生と一緒に学校に駆け付けた。相曽は「市立出身者で音楽大を卒業し、浜松にもどってきている人も多い。互いに手を取り合い、研究し合い励まし合っていけるグループを作ろうと思う」と大久保たちに打ち明けた。


相曽たみが作曲した「送別の歌」の楽譜
 「いつまでも卒業生のことまでも心配してくれると感激しました。先輩や後輩たちに連絡をつけ、同志を募りました」。こうして集まった二十一人の会員からスタートした。

 同楽会は現在、会員数約百九十人。新人はオーディションを通過しなければ、ステージに上がる事ができないほどレベルも高い。現会長の名古屋音大教授大野恵子(61)=高10回、富塚町=は「舞台で本物を出さないと客も来てくれない。真剣なステージを積み重ねていくことが大切」と話す。隔年で開催している演奏会のほか、ニューイヤーコンサート、サマーコンサートなどを開き、音楽の街、浜松の礎づくりに大きく寄与した。

 次回の演奏会は同楽会四十周年記念として来年五月に浜松アクトシティで開催する。

 同楽会の生みの親相曽は母親と長男も市立高(市立高女)の音楽教諭を務めた。母親のたみ=故人=は大正二年から十年にかけて、敷子は昭和二十二年から四十六年、長男の圀一郎(59)は四十六年から五十年まで教壇に立った。

 たみは、高女生時代の卒業式で、在校生が卒業生のために歌ったと言われる「送別の歌」の作曲者としても知られている。圀一郎は「自宅で生徒たちにピアノを指導する祖母の姿を覚えている。自分を律するという点では、非常に厳しい人だった」。

 圀一郎は現在、新居高の音楽教諭。「音楽の教師は意識して選んだわけでも、母親から勧められた職業でもない。気が付いたら音楽の教師になっていた」と話す。

(文中敬称略)

(水、木、金曜日に掲載します)


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