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自立した女性、職業婦人にあこがれる若い世代が増えつつあった時代。衛生看護科ができることに違和感を唱える声や「市が独自に看護婦養成を行わざるを得なくなった」という決して積極的ではなかった設置理由をはね返すように、意欲あふれる生徒四十人が門をくぐった。教室は西隣の西部公民館の二階部分を使っていた。 中村敏子(45)=高27回、中田町=は衛生看護科の第一回の卒業生の一人。「高校に行きながら准看護婦の資格が得られるのは魅力だった」と話し、「仕事をして世の中に出たかった」と語る。衛生看護科の教諭だった押田ちよ子(58)=富塚町=は「一年生は基礎看護実習や看護婦の歴史、二年生は学内での実習、二年生の後半から三年生にかけて、実際に病院で患者を受け持って実習を行った」と授業内容を振り返る。 昭和四十八年九月二十七日には第一回目の戴帽式が開かれた。中村は戴帽式でキャンドルがともされた部屋でナイチンゲール精神を唱え「頑張らなくちゃ」と心の中で思ったことを覚えている。 女生徒はブルーの実習服に白エプロン、水兵のようなかわいらしい帽子を受け取った。押田は「ちょっとモダンな感じで病院や学校でも好評だった」と話す。かわいらしい看護婦の卵たちは県西部医療センターなどに分散して指導を受けながら、一人ずつ患者を受け持ち社会人の経験をした。昭和四十九年には衛生看護科三学年の三学級と実習室が入った第四棟の新校舎が完成した。 岡崎悦子(44)=同、富塚町=は「祖母が病気がちでよく病院に行っていたので、身近にいた看護婦という職業にあこがれた」。市立を卒業後、短大に進み正看護婦の資格を取った。 岡崎のように多くの生徒は進学し、正看護婦の資格を取ってから職場に進出した。押田は「少し簡単なテストを出すとみんな満点を取ってしまうような優秀な生徒ばかりだった」と語り、「生涯続けられる仕事として看護婦の仕事を伝え、生徒にそれが伝わっていることが実感できた」と語った。 (文中敬称略)
(水、木、金曜日に掲載します)
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