浜松市立高100周年

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 第3章 「復興・新生」 (16)

伝統守る「なぎなた部」


浜松市立高から代表で出場した2人は昭和63年、国体でベスト8に入る快挙を遂げた

 昭和十年、愛国婦人会の東伏見宮妃殿下を迎えて合同演武を披露したり、終戦まで体操の授業に取り入れるなど、なぎなたと昔から関係の深い浜松市立高。なぎなた部は昭和五十二年に創部して以来、伝統を傷つけない活躍を続けている。

 創部当初の顧問島村利昭(60)=新津町=は「市立には当時、武道の部がなかったので学校の了解も得やすく、県の連盟も底辺を広げようといろいろ支援してくれた」と振り返る。

 創部は順調に進んだが、練習場所はグラウンドの隅。運動靴を履いて練習した。島村は「グラウンドでは試合の練習が中心で、ずいぶん生徒に打ち込まれました」と振り返り「もっといい練習場を確保するのが当時の生徒の夢だった」と語る。

 部の創立から七年で大塲久仁子=高38回、住吉=、鈴木総子=同、袋井市=、西沢睦予(34)=同、半田山=の三人が国体出場を果たす。

 西沢は小学校時代に通っていた地元の道場で、市立生が練習しているのを目にし、それにあこがれて市立高に進学、入部を決めた。西沢は「静かな空気の中で張り詰めた緊張感があり、その中で自分の旗が揚がるのが気持ちよかった」と語る。

 練習は浜松城までランニングし、そこで柔軟体操。学校に戻って演武や立ち稽古などをした。当時の練習場は講堂で、足場が体育館のように平らではなく、斜めの状態で練習したという。

 なぎなた部は翌年からほぼ毎年、全国高等学校なぎなた選手権大会、国体に出場。六十三年には国体で上野幸恵(30)=高41回、神奈川県=、市野公美子=高42回、市野町=がベスト8に入る快挙を遂げた。

 「なぎなたを知らなかった」という上野は「一対一で向き合い、精神を集中するところが自分に向いていると思った」と入部の動機を語る。在学中は土日も夏休みもなく、なぎなたを握った。

 上野は国体の時の様子が忘れられない。静岡はなぎなたが弱いといわれていたため、「静岡が勝ち進んだ」とアナウンスが流れると「ワー」と会場にざわめきが起こり、それがうれしかったという。

 なぎなた部員にとって、先輩が中心となって行った練習、なぎなたを通して多くの友達ができたのが大きな財産だ。

(文中敬称略)

(水、木、金曜日に掲載します)


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