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神谷は西高時代、国体とインターハイの棒高跳びでダブル優勝。筑波大に進んで記録を伸ばした。「五輪選手を育てたい」と願った石川の夢は成就目前だった。 「順調なら二位は固い」。もう少しバーが高くなってから様子を見に、と思っていた矢先のことだった。「神谷が足を折って、運ばれた」。将来を嘱望された教え子の大けがに、石川はぼうぜんと立ちつくした。神谷は奇跡的な回復を遂げたが、オリンピック出場のチャンスはついに巡って来なかった。実力だけではどうにもならない世界と実感する。 石川自身は、西高から中央大に進んだ昭和三十九年の十月、東京五輪に陸上四百メートルリレー代表として出場。華々しいスタートを切ったものの、一年に七回もの肉離れに悩まされ、長いスランプに陥った。復活は四年のユニバーシアード。四百メートルリレーで要の二走を務め、日本新で銀メダルにまで食い込んだ。 幼少期は野球少年だったが西部中時代、陸上部顧問の“待ち伏せ”を受ける。「練習が終わるのを毎日待っていて、『陸上をやれ』という。正直迷惑だなあと思った」。二足のわらじで出た三年の県大会。三種競技と二百メートルで優勝をさらうが、二百メートルは、当時の県記録に〇・一秒及ばなかった。「続けることになったのはそのせい」。負けず嫌いを自認する。 西高に入学し、陸上部に入ったものの、最初の一カ月は、バックネット裏で野球の練習を見て過ごした。当時の陸上部顧問は伊藤久雄教諭。「大目に見てくれた。強制されたら嫌になっていたかもしれません」。 県国体チームのコーチや監督として貢献し、大昭和時代の同期でもあった遅咲きの“鉄人”室伏重信らの活躍も目の当たりに。指導者として四半世紀を経た今でも「中学、高校で二人の先生に出会わなければ、この道に進むことはなかった」と思う。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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