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序章「五輪の4人(3)」

溝口 紀子さん
(バルセロナ大会柔道)

男子を投げた他流試合
「地域のスポーツ文化を育てたい」と新たな目標に情熱を燃やす溝口さん=浜松市旭町のプレスタワー
 天気のいい日、校舎四階の窓際は特等席だった。自主練習で毎朝走った十キロマラソンの疲労が心地よく、授業はあまり耳に入らない。遙かに輝く太平洋を眺めながら、溝口紀子(平2卒)は思った。「あの海を越えて、世界で活躍してやる。絶対に」

 小学校で柔道の面白さを知り、中学校でのめり込む。西高は進学校で「柔道三昧」とはいかなかったが、とにかく練習がしたかった。部活動が短縮されるテスト前などは、近隣の学校に“他流試合”に出掛けた。

 当時は柔道部といえば、どこも女子は少ない。「新居中や浜商など、どこでも出掛けて男子をばんばん投げた。そのうち、道場に入っていくと嫌な顔をされるようになった」。

 高二の時、講道館で開かれた全日本体重別選手権52キロ級で当時十連覇の女王・山口香を破った。「地方にいては強くなれない」とぐらついていた気持ちが固まった。柔道でいける。確信通り、翌年も勝った。

 埼玉大に進学し出場した平成四年のバルセロナ五輪では、地元スペインのムニョスに接戦で破れたものの、銀を獲得。試練が始まった。勝てば「さすが」、負ければ「まさか」。新聞の見出しには、どんな結果を出しても名前に銀メダリストの冠が付いた。

 言うに言えない重圧を乗り越え、国際大会で二階級を制覇した後、「もう金しかない」と挑んだアトランタ五輪の三回戦でまさかの敗退を喫した。持ち前の闘志が薄らいでいた。

 五輪や世界選手権で共に戦った田村亮子選手とは戦友みたいな付き合いという。

 柔道を「相手を信頼することで成立するスポーツだ」という。だから一流の選手だけでなく、愛好者を増やしたい。昨年は元全日本選手らと「日本女子柔道倶楽部」を立ち上げ、子供たちを対象にしたイベントも開く。

 昨年の五月から仏柔道連盟の招きで、文部科学省の在外研究員としてフランスに十カ月滞在。柔道人口五十七万人という人気に驚き、無数にある地域スポーツクラブや障害者柔道など、裾野の広いスポーツ文化を目の当たりにした。「日本にも地域のスポーツ文化を育てたい」。新たな目標に、今また情熱を燃やす。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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