![]() | <7> |
後に「英語教授法集成」(開明堂、昭和三年)などの研究書を著し、その道の権威として認められた松田らしく、方針は日本語と英語の二カ国語で著された。 「知育」「徳育」「体育」と項目分けされた表には、それぞれ「堅実な知識技能を身につけ、応用と創造に役立てる」「道徳的知見や信念を養い、自立自治の精神を身につける」などの目標が読める。 現在原本は失われ、方針の細部は、記念誌発行と同時期に全国紙に掲載された学校紹介に詳しい。中には当時の教育に対する鋭い批判が込められていた。
「自然科学教育が暗記や模倣に偏り、思考力、創造力が不足している」との危ぐや、「武道が精神の修養を忘れて勝負のみを重んじ、少数の選手のみを育成している」などの指摘は、現代の教育批判にも通じるものがある。 二番目というイメージを嫌い、「二中」を「爾中」と記したのも、次世代の教育を指向した松田の決意の現れだった。 専門の英語に加え、漢文に精通していた松田は、「紳士の育成」を掲げながら、儒学的な教えも重んじた。修身の授業では、南宋の最後を支えた忠臣文天祥(ぶんてんしょう)の書などを取り上げ、忠孝の大切さを説いたという。 大平伊太郎(昭4卒)は「漢詩を自作して、よく生徒や学校視察に来た関係者に披露していた。吟詠はたいていわたしの役目で、校長室で直接指導を受けた。穏やかな人だったが、笑顔はほとんど見た記憶がない」と厳しい教育者の横顔を思い返す。 松田はまた、学校方針に沿い、知、徳、勇を象徴する三種の神器、玉、鏡、剱をかたどった校章を自ら考案した。意匠は戦後改められるが、その精神は、校訓「高い知性、豊かな心、たくましい力」として踏襲され、現在まで受け継がれている。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
|
浜松市立高百年 掛中・掛西百年史 榛原高校百年 引佐高の百年 |
沼津東高百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年 田方農高の百年 静岡新聞へ |