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第1章「あゆみ・創立期」

心に残る宣教師の祈り
台風の直撃を受け、大破した校舎=大正15年9月
 横殴りの猛烈な雨と風が校舎を襲い、飛ばされた屋根がわらが窓を破って教室に飛び込んだ。雨音に混じってガラスの割れる音が響き、学習棟の一階で英語を教えていたカナダ人講師、ハーバー・ハベロック・コーツ(故人)は授業を中断する。動揺する生徒を諭すように、コーツは教壇で一心に祈り始めた。生徒の無事を願うように。生徒らは引き込まれるように、静かになった。

 その時の様子を稲勝正弘(昭6卒、故人)は、「身をすくめながら教壇をうかがうと、先生は両手をチョッキの下で組み合わせ、一心に唇を動かして、無言のまま祈っていた。わたしたちも騒いだり、狼狽するのを慎まねば、と思った」と「わが心の母校」(ひくまの出版、昭和五十四年)に書き残している。

 大正十五年九月四日、浜名湖付近に上陸した台風は、県西部で死傷者百六十人を出し、二中の校舎を含め二千五百戸が全半壊するなど大きなつめ跡を残したが、コーツの祈りが通じたのか、生徒は無事だった。

 コーツは布教で全国を回る宣教師。浜松には数年滞在しただけだが、キリスト教に裏打ちされた泰然自若とした態度や、他を思いやる心は、多感な年齢の二中生に大きな影響を与えた。和田弁(昭6卒)は「癖のない美しい英語を話し、日本語も達者。日本の宗教の研究にも熱心で、相手をよく理解することを何より重んじた」とその人柄をしのぶ。

 コーツの祈りに心を動かされたのが、同僚の英語教師、川島東平(故人)。川島は数年後の暴風雨の中、コーツの祈りを再現する。菊沖孝(昭15卒)は、強い雨風が吹き付ける教室で見た川島の姿が忘れられない。「わたしたちはただ恐ろしく、じっと机に伏せていた。嵐が弱まったすきに顔を上げると、毅然と背筋を伸ばし、何かを無心に唱える先生が見えた。後に皆にけががないよう祈っていたと聞き、はっとした」と語る。

 生徒のためを一心に思う。教育の原点を体現したコーツは、やがて布教のため日本を離れる。

 大正十五年の台風で痛めつけられた校舎は修復され、講堂や校門も増設された。昭和二年にはすべての建設工事が終了し、校歌に歌われる「聳(そび)ゆる甍(いらか)」の全容が姿を現した。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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