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第1章「あゆみ・創立期」

プールも手作りで整備
プールの建設作業に励む生徒たち=昭和9年ごろ
 西高の正門をくぐると、東坂の傾斜に沿って、坂の上まで連なる見事な桜並木が目に入る。春ともなれば、満開の花びらが辺りをピンクに染める。西高生を見守るこの桜並木は、創立期に生徒らの手で植えられた。

 山を切り崩して造成された二中の敷地は、荒れたままで石ころだらけ。校庭や周辺の整備は、このころの一大事業だった。二回生の中村誠一(昭5卒)は「今でもあの並木を見ると誇らしく、懐かしい。自分たちが植えた桜だものね」と目を細める。

 クラスごとに大八車やくわ、スコップなどの道具が備えられた。「作業」も立派な授業で、毎日のように校庭の石を拾い、土を篩(ふるい)に掛け、周辺の山から運んだ松や桜を植えた。校庭の基礎に敷く玉石は、天竜川の河原から運んだ。

 創立十周年に合わせて計画され、昭和九年七月に完成した浜松地区初の二十五メートル公認プールも、文字通り生徒らの汗の結晶だった。全校生徒が夏休み返上で建設作業に参加し、校庭の南東端を掘り返し、モッコを使って土を運び出した。

 佐田彊(昭10卒)は「炎天下の作業が続き汗びっしょりで、白い体操着の乾くひまがなく、カビが生えるほどだった」と記憶をたどる。「卒業してからも、自分たちの掘ったプールだといって、よく泳ぎに行った」と愛着もひとしおだった。このプールで古橋広之進(昭20卒)や倉橋範彦(昭27卒)らが猛練習を重ね、オリンピック出場を果たす。

 全員参加の作業は、座学だけでなく、体験を大切にした二中的な全人教育の一環でもあった。校長以下、教師らも一丸となって働き、「土方学校」ともいわれたが、生徒らは時には夜に及ぶ作業で連帯感を深めた。十周年記念事業では、校章を模した中庭の風致園なども作り、着々と学校らしい景観を整えていく。

 金山重教(昭7卒)は、創立二十五周年の記念誌で、学校整備に汗を流した日々を、「作業ばかりやらせやがって、と愚痴を言い合ったが、少なくともわたしは、その根底に流れる平和で自由な精神を愛していた」と懐かしんだ。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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