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終章「歴代校長・下」

学園紛争の収束に苦心
 昭和三十一年赴任の六代中村豊(故人)の時代は経済復興期で、グラウンド拡張など校内環境の再整備が始まる。七代相佐明一(故人)が在任中には、一学年の定員が三百五十人から四百五十人に急増し、校舎を増築した。西山台から見下ろす風景も様変わりし、新幹線や遠州灘を往来するタンカーが高度経済成長期の到来を告げた。相佐は後に浜松市教育長も歴任。

 八代渡水猪作(故人)は、図書館、体育館、プールを次々に整備。OBの合宿の思い出が詰まる西山寮を完成させる。七十年安保の学園紛争の嵐は西高にも波及し、四十四年には学校祭にデモ隊が乱入、機動隊が導入される騒ぎも。左翼的思想の盛り上がりの中、生徒指導に苦心した。

 九代福井半治の時代の四十八年には、創立五十周年を盛大に祝う。同窓会やPTAの全面的な協力の下、折からのオイルショックを乗り越え、記念館「望洋台」の着工にこぎ着けた。

 十代曽根雄一は進学率の向上を強く打ち出し、入学式でも「勉強に青春をかけろ」と生徒を鼓舞した。野球部が夏の甲子園初出場を決めたのは、十一代熊田富男(故人)が着任した五十六年。「勝敗は時の運。一戦一戦、顧みて悔いのない試合を」と励ました熊田にこたえ、県予選を全試合を完封で制覇。甲子園でも全員野球で初戦を突破した。

 十二代河合九平(昭21卒、坪井)は初の同窓生校長。西高の独自性を模索し、「より明確な目的意識を持てる教育の場を」と理数科を新設。浜松市教育長も十二年務めた。

 十三代宮沢宏が着任した六十三年には、柔道の溝口紀子(平2卒、静岡市)が二年で全日本女子柔道選手権を制覇、その後の活躍を予感させる。宮沢は老朽化した二代目校舎の改築で、「ぜひ校歌に歌われた甍(いらか)のデザインを取り入れたい」と県教委に陳情。十四代田中祐司の時に完成した新校舎は、宮沢の提案通り、現在の形となった。宮沢は後に焼津市教育長となる。

 十五代の天野力一(昭29卒、平田)は二人目の同窓生校長で、母校に三度赴任。七十周年記念事業の多目的トレーニング場「錬成館」を平成六年に完成させた。

 十六代野島宏二=現静岡文化芸術大参事=の時代は、西高改革元年。二学期制を導入、授業改善や三年間を見通した新しい授業計画を策定した。十七代岡田修二=現静岡商高校長=は、イギリス語学研修を実現。四月からスタートした中高一貫教育への道筋を付けた。現校長石田邦明は四月に着任、西高新時代を担う。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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