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第2章「戦争の影」

1年繰り上げて"卒業"
終戦後に撮影された中学18回生らの記念写真。164人中、100人ほどしか写っていない
 昭和五十二年一月二十二日。前年に完成したばかりの白壁もまぶしい西高の記念館「望洋台」に、スーツ姿の壮年の男たちが続々と集まってきた。この日同館では、終戦の昭和二十年に西高(当時の二中)を卒業した中学十八回生たちの、三十年遅れの“卒業式”が開かれた。

 十八回生の百六十四人は、浜松への空襲も激しさを増した昭和二十年の三月、年限を一年短縮され、十七回生とともに卒業。学徒動員などで卒業式はなく、卒業証書ももらえなかった。終戦直後に撮った一枚の集合写真が卒業記念だったが、集まることのできなかった多くの仲間には、この写真さえなかった。

 “卒業の証”を求めて式に集まった同級生は二十九人。式次第に沿って、懐かしい校歌に声を合わせ、当時の曽根雄一校長から、在校時の六浦嘉一郎校長の名前が記された卒業証書を受け取った。  県善三郎(故人)、久保田武司(故人)ら恩師に加え、同窓会長中村一雄(昭25卒)や先輩の市川重雄(昭19修)らも同席して往時をしのび、卒業を祝った。

 佐藤芳朗(昭20卒)は「当時の在校生や先生方まで出席してくれた。温かい心遣いに皆感激した」とこの日を思い起こす。増田耕而(同)も「形だけのものだが、やはりうれしかった」と感慨を新たにする。

 その夜は、恩師らも交えて学校近くの料亭「明石屋」で遅くまで語り合い、「最後は記憶がない」という同期生も。修学旅行のやり直しの提案まで出て、大いに盛り上がった。

 共に戦火をくぐった十八回生らは、卒業後、毎年のように同窓会を開いてきた。学徒動員で一緒に働いた誠心高等女学校(現浜松開誠館高)の卒業生らも交え、旧交を温める。卒業式のやり直しも、定例会の席で話が持ち上がり、幹事らが母校に教師として戻っていた高橋辰夫(昭20卒)に相談して実現した。

 この年代に国語を教え、卒業式にも招かれた恩師の一人前島謙治は「動員や空襲で、どんなに大変な学生時代だったことか」と異常な時代を過ごした教え子らの苦労に思いをはせた。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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