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教育の民主化と機会均等の理念のもとに、学制改革の基礎となる教育基本法、学校教育法などが制定されたのは昭和二十二年三月。中等教育は三年制の中学校と高等学校の二段階に単純化され、二中も翌二十三年四月、「浜松第二高」として戦後の歩みを始める。 この年は、開学から二十五年の節目。伊藤新七郎校長は記念誌「創立二十五秋」の中で高校昇格を喜びながら、「真の学校整備はその実質にあり、第一の実質は生徒諸君がいかに学び、成長するかである」と新たな自覚を呼び掛けた。 「序列意識につながる」と、全国的に序数の付いた校名をやめることになり、翌年には現在の「浜松西高」に改称されるが、校名の決定は生徒にとって最大の関心事。発足したばかりの生徒自治会が行ったアンケート調査では好感度で「西陵高校」の名称が、「浜松西高」を上回ったという結果も残っている。 スポーツに映画、小説など、それまでの規制がなくなり、クラブ活動や学校行事も盛んに。このころ着任した体育教師の伊藤久雄は「とにかく生徒を元気にしなければ、と課外活動が盛り上がるよう工夫を凝らした」と語る。 「古い憲法を学んできた教師が、新しい憲法が教えられるのか、とかみついた」と振り返る那須田稔(昭26卒)のように、目標を見失った戸惑いや、矛盾へのいら立ちを教師にぶつける光景は日常茶飯事だったが、教師らも正面から受け止めた。庄田武(同)は「本当の教育とは何なのか、先生たちも迷いを隠さず、生徒と接する中で考えていこうとしていた」と回想する。 このころには、旧制中学時に入学、学制改革を経て六年間在籍し、“中高一貫教育”を先取りした学年も。在学生の年の差も大きく、薩川光夫(昭27卒)は「荒れた上級生からの鉄拳(てっけん)制裁を恐れた半面、社会的な関心事について、活発な議論が聞けることもあった」と知的刺激の多かった当時を懐かしむ。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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