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男女共学が始まって三代目の加藤真代(昭29卒、旧姓大西)ら、高校六回生の女性陣が集まると話題にのぼるのは、体育の授業で全学年の女生徒が踊ったダンスの“苦い”思い出だ。「漫画みたいな話ですが、あれだけは恥ずかしくて嫌でした」と加藤は笑う。 学制改革による教育機会均等の方針に基づいて、西高で男女共学が始まったのは昭和二十四年。初年度に入学した女生徒は定員三百人中わずか八人で、しばらくは十人前後の入学が続く。 大石次代(昭28卒、旧姓中山)は、入学間もなく、体育館で行われた応援練習の様子を覚えている。「声が小さい!」。かっ歩する応援団員と、響き渡る怒声。それまでに体験したこともない荒っぽい空気に驚き、「男世界に来た」と実感した。 女生徒に対しては“母としての教育”も必要とされたのか、初期には土曜日などに理科室で料理を教わったり、外部から先生を呼んで茶道を学ぶなど、特別授業も行われた。「なぜ私たちだけ特別に」と反発をしてさぼり、先輩にしかられたこともあったと六回生らは述懐する。 当時、共学の学校に通うことは女生徒にとってまだ大変な選択。共学に通うことを近所で揶揄(やゆ)されつらい思いをしたり、学校内でも「はれ物に触るようだった」という卒業生もいるが、大石は「先生方の気遣いに報い、西高の伝統に恥じないように頑張らなければ、という思いがあった」と振り返る。 当初は女子トイレがなく、職員用のトイレで間に合わせるという苦労もあった。 数少ない女生徒は、クラブ活動では引く手あまた。演劇部や弁論部など、女生徒が新風を吹き込んだ文化部は数多い。仲間とフォークダンスサークルを作った青山隆一(昭34卒)は「職員室に呼ばれ、女の子の手を握るなと言われた」と苦笑する。 女生徒は一学年の定員が四百人を超えた昭和四十年ごろから五十人を上回り、昭和六十年ごろからは百人を超える学年も出た。現在ではほぼ半数にまで増えている。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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