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第3章「あゆみ・復興期」

賛否両論の学校5日制
にぎわう中心街の映画館。週末を映画鑑賞で過ごした生徒も多かった=昭和33年1月、浜松市鍛冶町通り(井上富雄さん提供)
 小学校から高校まで、平成十四年度から全国の公立校で一斉に実施される週五日制は、五十年前の戦後間もなく、GHQの主導により、各地で試験的に導入されたことがある。県内では、富士高が昭和二十四年に初めて実施。西高も翌二十五年十月、県内数校の実験校とともに試行を始めた。

 昭和二十六年十一月五日発行の西高新聞は、「賛成者が圧倒的」の大きな見出しで、五日制の実施について、新聞部が行ったアンケート調査の結果を伝えている。記事によれば、生徒の88%は五日制に賛成。その理由としては「趣味教養の時間の余裕がある」がトップに上がった。

 生徒会が行った別の調査では、「生徒は五日制に、先生は六日制に賛成の意を示しており、保護者はほぼ半々という結果が現れた」との記録もある。

 五日制に伴い平日の授業時間は増え、七時間授業になる日も。「長時間の授業で能率が上がらなくなり、毎日の予習復習の時間も確保できない」「クラブ活動がままならない」と批判する教師もいた。

 賛成派が多かったとされる生徒も、反応はさまざま。「一人でじっくり勉強できる」と、学業に精を出す生徒がいた一方で、趣味を充実させた生徒は多かった。「とにかく映画をよく見た」と話すのは伊藤庄平(昭29卒)。木全富雄(昭28卒、旧姓酒井)も「土曜もクラブ活動とは名のみで、点呼を取れば即帰宅。マージャンの腕を磨いた者も多かったはず」と記念誌に記した。

 週休二日では遊んでしまうという保護者の懸念に対しては、西高新聞の投稿欄に「六日制で学校が早く終わっても、結局は街の雑踏へ吸い込まれるだけ。むしろ週末に休みがまとまった方が、勉強の時間もとれる」といった反論も見える。

 賛否両論の五日制だったが、学区との兼ね合いなどから、西高では一年あまりで廃止になる。新制高発足時には、学校間格差の是正を目的に、全国で一学区一校の小学区制が採用されていたが、間もなく学校選択の自由などの観点から、学区が拡大する傾向に。西高も段階的に学区が広がったことから、終業時間が遅い五日制は、遠方の生徒の負担になるとの理由で、昭和二十七年度には元の六日制に戻った。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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