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第4章「あゆみ・発展期」

水窪山中で新種を発見
ハマニシハネナガウンカ
 昭和三十三年八月十八日、水窪の市街から森林鉄道で分け入った国有林、戸中山(とちゅうざん)の山中。昼なお暗い林道の倒木の間を、小さな白い虫が弱々しく飛んでいた。捕虫網をすっとすくうようにうごかすと、その虫は簡単に捕まった。透き通った乳白色の羽を持つ、一・五センチほどのハネナガウンカ。羽の所々に、黒い斑点(はんてん)が見えた。「これは見たことがない」。生物部顧問の田中亮三(故人)はうなった。

 採集した奥田頼春(昭35卒、旧姓辻村)、藤下章男(昭35卒)、柳川弘明(同)らは「どれほど珍しいものなのかは判断がつかなかった」と語るが、この虫は、後の研究で未確認の新種と認められた。西高と田中の名前を冠し、和名ハマニシハネナガウンカ、学名ゾライダ・タナカイと命名され、昭和三十七年、学会で発表される。

ハマニシハネナガウンカを最初に発見した採集旅行=昭和33年8月、戸中山
 生物部は昭和二十二年に活動を開始。八年目には校舎火災で標本類をすべて失うという悲劇に見舞われながらも、輝かしい成果を上げる。ハネナガウンカの新種発見と生態研究のほか、戸中山で採取した林木に穴をあける穿(せん)孔害虫(カミキリムシ)の目録作りや、天竜川水系の昆虫相の研究などに継続して取り組み、数々の表彰を受けた。

 昭和三十四年にはムカシトンボの分布と分布地域の地質との関連を調査した研究で日本学生科学賞で三等、昭和三十九年にはナイロン害虫を確認した業績で国際エジソン展で特選に入賞するなど、全国レベルの入選も果たした。

 県学生科学賞は連続九回、鈴木梅太郎賞は連続八回入賞という常連で、斯波千秋(昭43卒)は「経済状況が悪く、部費を集めるのも困難な時代、賞金が活動を支えた。機材は充実していて立派な暗室もあり、写真部が借りにきたりした」と思い出す。

 甲虫の研究で知られ、「何を聞いても知らないことがなかった」(長沢雅則、昭和37卒)という田中を慕って多い時には五十人もの部員が集い、テーマ設定から論文にまとめるまでのプロセスを徹底して教え込まれた。県林業技術センター技監の藤下ら、今も研究の道を歩むOBは多い。

 昭和二十四年から四十八年まで発行した研究論文集「生物交流」は、西高創立七十周年を機にOBらの手で復刻され、熱のこもった研究活動の成果を現在に伝えている。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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