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続く「処刑の部屋」や裕次郎主演の「狂った果実」などの一連の“太陽族映画”は、若者のファッションにも影響を及ぼし、街にはサングラスにアロハシャツ、ぴったりした細身のマンボズボン姿の若者があふれた。 西高の生徒たちも流行に敏感だった。小倉偉利(昭34卒)は「細いズボンも売っていたが、それでは満足できない仲間は、仕立て屋で直してもらったりしていた」と思い起こす。学校側は、映画への批判なども考慮して着用を禁止。生徒会はこれに反発した。 小倉は「まだそれほど豊かでなかった時代。親に余計な金をかけさせてはいけない、という配慮もあったと思う」と語るが、生徒らのしゃれっけの前には、締め付けも効果はなかった。 マンボズボン最盛期に生徒会長だった山村計正(昭33卒)は「着用禁止を強要されるのはおかしいと猛反対し、それで会長に当選したようなもの。校門の前でチェックがあるので、部室に続く裏道から上がってすり抜けたりした」と攻防の一端を明かす。 バンカラな気風もまだ残っていた。「素足に高げたをはき、学生帽に油を塗って光らせたりした。げた履きも禁止するというので、これには『雨の日には革靴では、坂で水浸しになる』と理屈をつけた」と山村。 裕次郎ファッションの、丈の短いジップアップのダスターコートも人気を集めた。渥美高明(昭33卒)は「学校帰りに映画もよく見に行ったし、みんな裕次郎のさっそうとした雰囲気にあこがれた。コートの襟(えり)を立てて、ポケットに手を突っ込んだりしてね」と、若かりし日を懐かしむ。 昭和二十九年に校舎が焼失して再建の課題を抱えたこともあり、このころ生徒会活動は隆盛期を迎えた。山村の前年に生徒会長を務めた大石健次(昭32卒、旧姓相曽)は、「生活上の問題も解決は生徒にまかされ、本当の意味での学生自治があった。学校も生徒会の意見は最大限尊重してくれた」と当時の自由な気風を振り返る。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
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