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一団は、中核派の高校生組織「反戦高協」やベ平連の学生など、他校生を中心とする“外人部隊”約三十人。先に東京で開かれた「四・二八沖縄デー」の反戦デモに加わり、逮捕された西高生がその後退学になったのは、学校の「不当処分」だと主張した。 講堂ではアジ演説が始まり、校舎の屋上からは「われらに自由と平和」「安保粉砕」などの垂れ幕。若者らの先導で西高生らも輪を作り、反戦ソングの合唱が始まった。 「無届け集会は禁じる!」。学校側の再三の呼び掛けも効果がなく、校長の渡水猪作(故人)は、警察への応援要請を決意。浜松中央署から派遣された約三十人の警官が、二度に渡って暴れる学生らを校外へ連れ出した。 七〇年安保を契機に全国で吹き荒れた学生紛争の嵐は、高校生にも波及した。県内では、昭和四十四年に伊東市川奈で開かれたASPAC(アジア太平洋協議会)をきっかけに、一部の行動が過激化。県西部でも大規模な集会が開かれ、逮捕者も出た。 このころ県教委総務課の管理主事として人事管理を担当していた河合九平(昭21卒)は、「極左的な教員のグループもあり、どう正常化するかはたいへんな課題だった」と語る。渡水は河合に「教育的な対応だけで破壊的活動から学校は守れるはずはない」と厳然と対処する意向を伝えていたという。 新聞部でも「学校が生徒の主体性を奪っている」などとする学校批判の論調が激しくなり、顧問の仲村泰二(故人)は「心の底からの信念でないと、立言も行動も悔いを残す。今少し謙虚に、幅広く人の意見を吸収することに努力してほしい」と生徒を戒めるメモを残している。 一方でこの年は、生徒会活動が停滞。後期生徒総会では役員が承認されず、生徒会誌「望洋」も未刊に。学生運動が沈静化した昭和四十五年以降は、会長選挙に自発的な立候補者が出ないことも多くなり、生徒会活動は“冬の時代”を迎える。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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