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「小杉君が亡くなりました」。昭和五十四年の新学期を迎えて間もない四月十三日の朝、担任の野村薫(61)=現浜北西高講師=の言葉に、三年生の教室はしん、と静まり返った。急性心不全。十七歳の、早すぎる死だった。 野村は「前日まで元気に過ごしていただけに、ショックは大きかった。目立つ方ではないが、まじめな子だった」と惜しむ。両親は「積み立ててあった学費を何か学校のために」と百万円を寄付し、三年前に完成した記念館の脇に石庭が整えられた。 記念館の建設は創立五十周年にあたる昭和四十八年、同窓会の記念事業の柱として計画された。同窓会は会長の柴田水穂(昭8卒、故人)や県議市川重雄(昭19修、金折)が中心となり、学校や後援会、PTAの協力を得て実現に奔走する。 終戦直後の昭和二十年から二十三年間西高で教師を務め、昭和四十八年から再び教頭として母校へ戻っていた坂田秀夫(昭8卒、東若林)は、寄付金集めに走り回った一人。「同窓会の集まりを残らず回り、力添えを頼んだ。結果として五十周年のために呼び戻されたような形でした」と笑う。 関係者の努力で寄付金は目標額千五百万円の倍近く集まったが、折からのオイルショックのあおりで県の予算が付かず、落成は結局昭和五十一年六月までずれ込んだ。 完成した同館は、鉄筋二階建て、延べ面積六百九十八平方メートル。一階が同窓会スペースで、二階には特別教室として、階段状の座席が付いた視聴覚教室と、茶道などの活動を想定した和室が配された。 同窓会スペースは、建築設計事務所を開く現同窓会副会長の伊藤喜国(昭26卒、馬込)が設計を担当。岐阜県土岐市の窯元に特注した陶板で壁面にW(=「西」の頭文字)をデザインした玄関ホールや、重厚なカーペットに木目壁の会議室、壁一面にガラスケースを据え付けた資料室など、「ほかにないものを」と力が入った。 事務長を務めていた鈴木正男(72)=豊田町=は「同窓生が母校への思いを結晶させた一大事業だった」と関係者の熱意を語る。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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