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第4章「あゆみ・発展期」

初の甲子園に校歌響く
開会式での言葉通り、閉会式で深紅の優勝旗を掲げる清水主将(手前)と浜西ナインら=昭和56年8月1日、静岡草薙球場
 「青い旗はもういらない。今年は赤い旗を持って帰ります」。昭和五十六年七月十八日、静岡草薙球場で開かれた夏の全国高校野球静岡大会の開会式。準優勝旗を返還した浜西の主将清水淳次(昭57卒、半田山)はテレビ局のインタビューにこう答えた。清水の言葉は現実になる。

 シードで二回戦から順当に勝ち上がり、迎えた準決勝の静岡商戦。浜西は初回、宮田守啓(昭57卒、東京都)のタイムリーで先制したが、五回まで毎回先頭打者の出塁を許し、苦戦を強いられる。捕手木下知之(昭57卒、浜北市)も「何度もあきらめかけた」と振り返るが、六回に先頭木下の三塁打、宮田の犠打で待望の追加点を上げ、2―0で辛勝した。

 決勝の東海大工戦は初回、吉田郁司(昭57卒、千葉県)の二塁打から中野春治(昭58卒、浜北市)が送り、鈴木良啓(昭57卒、群馬県)の安打で先制。三回には中野、木下、宮田の安打で2点を加え、3―0で悲願の初優勝をもぎ取った。

 この日けんみんテレビ(現静岡朝日テレビ)のアナウンサーとして実況を担当した松下豊(昭47卒、静岡市)は、最後のフライが上がった瞬間、「甲子園フライだ」と叫んだ。ボールは遊撃手中野のグラブへ。スタンドにいたコーチの田力錦秀(昭50卒、引佐町)は「みな立ち上がって絶叫した」と思い返す。

 大会前には連打を浴びることもあった投手宮田は調子を上げ、全試合完封の大会記録を樹立。記録付き優勝に市民も沸いたが、清水は「ぽっと出た進学校がいきおいで勝った、というのとは違った」と自負をのぞかせる。昭和四十年代の浜西は八年連続のシード校になり、四十六年には準優勝。「優勝は当然の目標でした」。

 監督の青葉滋美(昭35卒、袋井市)も「傑出した選手はいなかったが、あれほど気持ちがまとまったチームはない。清水の力は大きかった」という。

 甲子園では佐賀学園を1―0で破り、初戦を突破。甲子園に初めて校歌を響かせた。二回戦は、大会最多の五万七千人の大観衆の中、大阪・北陽と対戦し、善戦及ばず1―2で敗退。翌日の朝刊には、「さわやかチーム浜松西、甲子園を去る」と報じられた。

 宮田と鈴木は立教大に進み、鈴木は主将として活躍。吉田は現在、千葉敬愛高監督を務める。清水は昨年春から母校の監督になり、自らが情熱を燃やしたグラウンドに再び立った。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
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