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平成二年、老朽化が進んだ校舎の建て替えが決まると、建設関係のOBらで作る「西山建設クラブ」の建築部会は、部会長の飯田芳男(昭21卒、大平台)を中心に、新校舎のデザイン作りに乗り出した。 事務局担当の伊藤喜国(昭26卒、馬込)は、杉浦尉夫(昭30卒、和田)や加藤忠人(昭29卒、有玉南)ら民間の設計者と協力し、行政の技術職員としてクラブに加わっていた門奈広人(昭44卒、幸)、福智正純(昭39卒、曳馬)の意見も聞きながら、実現可能な計画を模索する。 西山建設クラブの前身、西山土木会は昭和四十二年、当時の中村建設社長、中村一雄(昭9卒、故人)を筆頭に、情報交換と交流の場として発足した。当時の会員は二十九人。クラブは創設以来、メンバーの所属会社の壁を越え、母校の環境整備に力を合わせてきた。その成果は、校内の随所に残る。 同窓会記念館「望洋台」の脇にある標石は、その一つ。黒い御影石には「標高二五・五二メートル、東経百三十七度四十二分四十五秒、北緯三十四度四十一分五十二秒」の文字が刻まれる。昭和五十一年、母校の創立五十周年を記念して行った測量の結果だ。 夏の盛り、メンバーらがボランティアで当時の可美村役場(現在の可美サービスセンター)前の標準点から学校までを計測。初めて地球の中の西高の“所在地”を明らかにした。 クラブには徐々に設計関係者も増え、昭和六十年ごろには建築部会が発足。同窓会や学校後援会が創立七十周年に独自事業として行った多目的トレーニング場「錬成館」の設計にも貢献した。現在は林工組社長の伊藤孝(昭42卒、三組)を会長に、全体で約百四十人が名を連ねる。 現校舎は総工費二十九億円をかけ、平成四年に落成。地下駐車場こそ実現しなかったが、瓦屋根などアイデアは各所に生きている。ふるさとを新幹線で忙しく通り過ぎる同窓生も、窓から見える高台の瓦屋根に、ほっと息を付くという。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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