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第5章「教育者の系譜」

学長説得に"三顧の礼"
「スケールの大きな子どもを育ててほしい」と中高一貫教育への期待を語る庄田武さん=浜松市野口町の静岡文化芸術大
 「なんてことだ」。平成八年、五月十六日夜。県副知事だった庄田武(昭26卒、鴨江)はテレビから流れてきた訃報(ふほう)にがく然とした。四年後、浜松市に開学予定の静岡文化芸術大学長に内定していた国際政治学者、高坂正堯京都大教授が病死したのだ。副知事就任以来、基本構想策定に没頭してきただけに、ショックは大きかった。

 後任候補の筆頭に名前が上がったのは、木村尚三郎東大名誉教授。都市と文化をめぐる幅広い言論活動で知られ、高坂が委員長を務めた新大学基本構想検討委員会の中心的存在だった。

 石川嘉延県知事の強い意向を受け、「宮仕えはもう御免」と固辞する木村を必死に説得した。「先生にしか構想を具体化できない」。三度の来訪でやっと了解を得た。

 名古屋大を卒業後、浜北西高校長などを経て、県教委高校教育課長に。バブルの絶頂期で給与の高い民間企業に人材が殺到した時代だった。工業高の技術教員の確保が困難になり、民間の技術者を特別教諭として派遣してもらう体制を整えた。

 当時としては、全国的にも例のない試み。「文部省からは待ったがかかった」が、法的に問題はないと見切り発車して実績を上げた。

 平成二年からは教育長を務め、「命を大切にする教育」を提唱、生涯学習課の新設や単位制高の開設に取り組んだ。印象深いのは、県内初開催となった高校総体。「一人一役運動」で盛り上げ、三千人もの生徒らがマスゲームに集った開会式では、皇太子殿下の案内役も務めた。

 八月の夏の盛り。「猛烈な暑さだったが、殿下はきっちり上着を着込まれたまま、涼しい顔をされている。こちらも脱ぐことができず、滝のような汗を流した」。

 この総体のサッカー決勝で、かつて校長を務めた清水東と東海大第一がぶつかった。清水東が気になって、一点先制の後、「残り時間を気にしてばかりいる」と笑われた思い出も。

 平成五年から副知事として、石川県政を支える。平成十二年には静岡文化芸術大の開学とともに、初代副理事長に就任した。

 二十代の浜松市立高教師のころ彫りの深い風ぼうと意思の強さから、米テレビドラマの主人公“ベン・ケーシー”のあだ名で親しまれた。「草野球と映画に明け暮れた」母校で中高一貫教育が始まる。「単なるエリート教育に陥らず、スケールの大きな子どもを育ててほしい」。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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