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「他流試合なしで、いきなり母校。慣れ親しんだ先生に、甘えてはいけないと自分に言い聞かせた」と述懐する。 西高時代の水泳部の経験を買われ、初年度から顧問に。青竹を手に、プールサイドで声をからす生活が始まった。その年、一年先輩だった古橋広之進(昭20卒、東京都)と後輩の倉橋範彦(昭27卒、同)がヘルシンキ五輪に出場。同じプールで泳いだ仲間の大舞台での活躍、生徒とともに興奮した思い出が鮮明だ。 県教委総務課長補佐、新設の袋井高校長、西部教育事務所長、磐田北高校長などを歴任、昭和六十年、今度は校長として西高に戻った。喜びとともに、「自由と規律が両立した西高らしさが薄れていると感じた」。 隔週の朝礼で、遅刻や私語を追放、「時間とルールの順守はリーダーとしての基本」と口を酸っぱくした。 昭和六十三年から三期十二年間は、浜松市教育長。「五感五体を生かす授業を」を合言葉に、音楽と体育の充実を両輪とする全人教育を掲げ、知育偏重をいさめた。 就任のころは、日系ブラジル人を中心とする在住外国人の急増期。子弟の受け入れ体制の整備とともに、義務教育現場での「国際理解教育」の必要性を訴えた。 平成七年にはいじめによる中学生の自殺という、痛ましい事件に遭遇する。辞任の二文字も頭をよぎったが、「やめるだけでは解決しない」ととどまり、子供も教師も親も共に学び、共に生きる「学びの共同体」を提唱、人間教育の路線をますます強めた。 公用車でもバスでも、乗ると必ず本を開いたほどの読書家。書もたしなみ、教育長就任のため卒業式を待たずに西高を離れる時には、「時を惜しみ青春を刻む」としたためた色紙を、ポケットマネーで卒業生全員に贈った。 水泳部員の多かった高校十一回生とは縁が深く、同窓会には必ず招かれる。ジャズシンガー鈴木重子の両親鈴木幸夫(昭34卒、山手)、厚子(同)夫妻はこの回の同級生。「高校時代から皆をうらやましがらせたカップルでしたよ」。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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