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第5章「教育者の系譜」

多くの県立高校長輩出
障害児教育にもかかわった脇本亀玖増さん。現在は私立春日幼稚園で園長を務める=浜松市馬郡町の春日幼稚園
 西高出身の教職員は、一説に二千人以上ともいわれる。県立高の校長などの要職を務め、教育界に大きく貢献したOBも数多い。

 古くは、熱海高校長、掛川西高校長などを歴任し、初代県立中央図書館長を務めた高林静夫(昭5卒、故人)がいた。県教委学校教育課長も務め、戦後の教育体制の確立に尽力。指導主事のころ、中心となって編集した手引き書「教師のための新倫理」や「豊かな心」は、現場の価値観の混乱の中、良質の指南書として高い評価を得た。

 退職後には、初代県教育サービスセンター長として、教育相談「ハロー電話」の普及に尽くした。

 母校の教壇にも立ち、磐田南高校長を最後に退職した脇本亀玖増(昭21卒、鴨江)は、障害児教育の分野にも縁が深い。浜松盲学校教頭、静岡盲学校校長を務め、生徒の就労機会の拡大に心を砕いた。  浜松盲学校に赴任した日、弱視の子供が落とした消しゴムを拾おうとして、現場の先生に「拾わないで下さい」と注意された。「自立して生活できるよう、手を出し過ぎてはいけないのだと教えられた」。

 浜名高校長を務めた鈴木勝良(昭22卒、故人)は一年後輩。磐田南高校長時代、浜名高で事務職員の殺人事件があり、生徒のケアや保護者への説明に奔走する鈴木の姿に胸を痛めた。

 三ケ日高校長から母校の校長を務めた天野力一(昭29卒、平田)は、三度母校に任じたユニークな存在。ユーモアに富んだ性格で慕われ、校長時代、当時三年の太田森平(平7卒、交通事故で逝去)が、世界ジュニア選手権にシングルスカル日本代表として出場した時には、「“しんぺい”ないよ」と送り出して笑わせた。

 他の校長経験者には、浜松湖東高校長を務めた松坂久仁夫(昭17卒)、浜松盲学校校長を務めた高柳邦夫(昭18卒)、藤枝西高校長を務めた大林博信(昭20卒)、島田高校長を務めた太田昌弘(昭29卒)らがいる。

 磐田南高校長などを歴任した高柳舜吉(昭30卒)、浜北西高校長を務めた古木佳和(昭30卒)は同期。吉田高校長を務めた小沢巌(昭33卒)、焼津中央高校長を務めた尾上辰夫(昭34卒)も西高出身だ。

 浜松市立高校長の増田勝利(昭35卒)、池新田高校長の村木恭治郎(昭35卒)は今春退職を迎えた。松島忠範(昭38卒)は引佐高校長から西部教育事務所長を務めている。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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