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第5章「教育者の系譜」

自主性育む「人間道場」
不登校の子供の教育に力を注ぐ大石健次さん=浜松市三島町「立志館」
 平日の朝九時になると毎日、浜松市三島町にある「立志館」に、十人ほどの子供たちが通ってくる。立志館は、大石健次(昭32卒、三島)が平成十二年に作った。昼間はさまざまな事情で学校に通えない不登校の子供が集まり、それぞれのペースで学習に励む。

 分からないところがあれば質問する。パソコンの操作を学んだり、ピアノを弾いたり、本を読む子供もいる。大石が「人間道場」と名付けた通り、天竜杉の温かみが伝わる建物は、自分自身と向き合う修行の場のようだ。

 夜には学校を終えた子供たちがやって来て、普通の学習塾になるが、ここでも「目標を持ち、自ら学ぶ姿勢を求めて」一斉授業はしない。

 特色は週一度の「立志の講話」。時々のニュースや話題の人物、詩などを紹介しながら、子供に考えさせる。「自分がなぜ学ぶのかを自覚してほしい」からだ。

 教師にあこがれ、静大教育学部で哲学を専攻、昭和三十六年に中学教諭に。「個に普遍性を求める」という教育への独自の視点は、若いころから際立った。三十代のころから始めた、子供たちがそろって静かなめい想の時を過ごす「静座(せいざ)の会」は、同僚の間で共感を得て、複数の学校で継続した。

 積志中や江南中で教えた時代には、生徒や保護者の意識改革を狙いに、三日に一回の頻度で学年便りを発行、年間で百号を超えた。当時の同僚は「学校や生徒のあるべき姿を分かりやすい言葉で説明し、説得力があった」と振り返る。

 県教委や浜松市教委で、教育行政を約十年経験。市校長会長も務めたが、「組織教育では、九十九人のために一人を犠牲にしなければならないこともある。誰も切り捨てず、一番ふさわしい形で一人ひとりを支えたい」という思いが、定年後の立志館の建設につながった。

 この春、立志館に通っていた不登校の子供たちのうち、中学三年だった六人がすべて高校入試に合格し、四月から学校へ戻ることになった。手探りで始めた挑戦に、手ごたえを感じ始めている。     

 教育界に貢献する西高OBは多彩。同窓会長で浜松信金会長の鈴木富士男(昭26卒、篠原)、浜松ユネスコ協会会長の糟谷勝一(同、佐鳴台)の二人は、地域の代表として教育に意見する教育委員の筆頭となる県教育委員長を務めた。県外にもOBは多く、都立白鴎高校長などを歴任し、都教育長まで務めた佐田彊(昭10卒、東京都)はその代表だ。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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