![]() | <63> |
山奥の村から三キロも奥まったところに、立て掛けた木の枝に草をふいた粗末な小屋。六人の幼い子供たちはみな、黒ずんだ肌をしていた。「ゴキブリがたかる」という。あまりに不衛生な環境にショックを受けた。 佐々木が初めてハンセン病患者に出会ったのはそれより数年前、サン・ジェロニモ・ダ・セーラの町中だった。神父としてブラジルへわたり、十六年。パラナ州の中でも特に貧しいこの地方に、多くの患者が暮らしているのを初めて知った。 独自に調査を始め、差別を恐れて人里から離れ、隠れるように住む百二十人ほどの患者を見つけた。「この人たちを救いたい」。現地の大学で福祉を学び、救済組織「フマニタス慈善協会」を設立。カソリック修道会などの幅広い支援を得て、医療スタッフとともに診療所を開いた。 これまでに治療したハンセン病患者は千人以上。一般の皮膚病患者は二万四千人にのぼる。 活動は、貧困家庭の自立支援へも発展した。子供たちを集め、農作物栽培や食用ウサギの飼育、手工芸品の製作などを行い、報酬を支払う。地域に多い未婚の母たちの援助も行ってきた。 父が西遠女学校(現西遠女子学園)教師のカトリック一家に育つ。二中の三年の時、志願して軍隊へ。カトリック信者であることから差別を受けたことが、神父を志すきっかけになった。終戦後、上智大の哲学科に進み、大学院で神学を学ぶ。昭和三十年に神父になり、三年後、日本移民への布教のため、ローマからの要請で横浜教区からブラジルへ派遣された。 ブラジルの貧富の格差は大きく、農地全体の約半分を人口の3%にあたる富裕層が所有する。「一部の特権階級が搾取し、多くの人たちは貧しさにあえいでいる。政治家の不正もまん延している」と心を痛める。 「大した仕事はしていません」と自らの辛苦は語らないが、後輩たちに「全人類の三分の二を占める貧しい人たちの現状を直視し、彼らのために何ができ、何をしなければならないかを考えてほしい」と望む。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
|
浜松市立高百年 掛中・掛西百年史 榛原高校百年 引佐高の百年 |
沼津東高百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年 田方農高の百年 静岡新聞へ |