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第7章「道を究める」

ブラジルに診療所開く
治癒した元患者(左から2番目)と写真に収まる佐々木さん(右端)
 二十五年ほど前のこと。ブラジルでカトリックの神父として布教活動をしていた佐々木治夫(昭22卒、ブラジル)は、ハンセン病患者の調査のため、サンパウロから約七百キロ西にあるサン・ジェロニモ・ダ・セーラ近くの山中に、患者の一家を訪れた。

 山奥の村から三キロも奥まったところに、立て掛けた木の枝に草をふいた粗末な小屋。六人の幼い子供たちはみな、黒ずんだ肌をしていた。「ゴキブリがたかる」という。あまりに不衛生な環境にショックを受けた。

 佐々木が初めてハンセン病患者に出会ったのはそれより数年前、サン・ジェロニモ・ダ・セーラの町中だった。神父としてブラジルへわたり、十六年。パラナ州の中でも特に貧しいこの地方に、多くの患者が暮らしているのを初めて知った。

 独自に調査を始め、差別を恐れて人里から離れ、隠れるように住む百二十人ほどの患者を見つけた。「この人たちを救いたい」。現地の大学で福祉を学び、救済組織「フマニタス慈善協会」を設立。カソリック修道会などの幅広い支援を得て、医療スタッフとともに診療所を開いた。

 これまでに治療したハンセン病患者は千人以上。一般の皮膚病患者は二万四千人にのぼる。

 活動は、貧困家庭の自立支援へも発展した。子供たちを集め、農作物栽培や食用ウサギの飼育、手工芸品の製作などを行い、報酬を支払う。地域に多い未婚の母たちの援助も行ってきた。

 父が西遠女学校(現西遠女子学園)教師のカトリック一家に育つ。二中の三年の時、志願して軍隊へ。カトリック信者であることから差別を受けたことが、神父を志すきっかけになった。終戦後、上智大の哲学科に進み、大学院で神学を学ぶ。昭和三十年に神父になり、三年後、日本移民への布教のため、ローマからの要請で横浜教区からブラジルへ派遣された。

 ブラジルの貧富の格差は大きく、農地全体の約半分を人口の3%にあたる富裕層が所有する。「一部の特権階級が搾取し、多くの人たちは貧しさにあえいでいる。政治家の不正もまん延している」と心を痛める。

 「大した仕事はしていません」と自らの辛苦は語らないが、後輩たちに「全人類の三分の二を占める貧しい人たちの現状を直視し、彼らのために何ができ、何をしなければならないかを考えてほしい」と望む。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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