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第8章「地域の礎」

浜松市政支える同期生
 (左)「悪さをして先生に迷惑もかけた」と振り返る渥美助役(右)園児との触れ合いの経験を笑顔で語る山本収入役=ともに浜松市役所
 地元浜松市で市政を支えるOBは数多いが、筆頭は助役の渥美高明(昭33卒、雄踏町)。学校教育部長、総務部長、財政部長の三部長を経て、北脇新体制の下、平成十一年七月に助役に抜てきされた。

 西高から早大を卒業し、昭和三十八年に市役所に。庶務を皮切りに、社会教育や学校教育、財政、都市整備などを幅広く担当。バランス感覚に優れた行政マンとして人望が厚い。

 「特に学ぶことが多かった」と振り返るのは、公園建設課の係長時代。浜松城公園や三方原墓園などの整備が相次ぎ、用地買収、代替地の確保に奔走した。

 「怒鳴られたりしながら、朝晩通い詰めたことも。人との接し方や、相手の話をよく聞いて、接点を見いだすという交渉事のルールを自然に覚えた」

 西高の恩師では、三年間担任だった生物の田中亮三(故人)、国語の河合九平(昭21卒、坪井)が印象深い。「田中先生はおやじのよう。祭りで騒いだり、外で悪さをして迷惑かけた。河合先生は若かったが、結果だけでなく努力をきちんと評価してくれた」。

 教員を志して教育学部に進むが、採用試験を受け損ねるなど失敗談も数知れず。「失敗も勉強のうち。若いころには、自分の責任の範囲で、何でもやってみるくらいがいい」と笑う。

 収入役の山本治男(昭33卒、曳馬)は同期。山本は西高を卒業後、教育委員会から市役所へ入った。社会教育や交通部で市バスの運営などに携わり、広報課長、秘書課長、総務部長を歴任。

 駆け出しの教育委員会では、二紀会の重鎮として知られた故水野欣三郎氏ら文化人とかかわり刺激を受けた。「アトリエに入っていっても集中して気付かない。ずっと作業を眺めていたりした」

 滝沢幼稚園の園長を兼任し、子供と触れ合った児童保育課課長補佐のころや、アクトの建設現場で不発弾が次々に見つかり、マスコミ対応に苦慮した広報課長時代も思い出深い。

 西高ではテニス部。一年のころは、火災の後の仮教室で授業を受けた。「勉強はあまりまじめじゃなかったね」。子供のころから泳ぐのが好きで、三年前には還暦を機に村櫛小の遠泳に参加、一・二キロを泳ぎ切った。

 「悦己悦人」が自訓。「仕事も自分で楽しみつつ、人に喜んでもらえる結果を残さなくては」

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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