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第8章「地域の礎」

「信金は町医者」が持論
「西高ならではの人格の育成を」と母校に期待する鈴木富士男会長=浜松市元城町の浜松信用金庫本部
 長引く不況で個人消費や企業の設備投資が冷え込み、厳しい状況が続く金融業界。浜松信用金庫会長の鈴木富士男(昭26卒、篠原)は「ペイオフの解禁もあり、安定した金融基盤を作ることはもちろん、顧客の信頼を高めることがこれまで以上に重要になる」と強調する。

 大手銀行が不良債権処理にあえぐ中、着実な資金調達で堅実経営を誇る。創立五十周年を迎えた平成十二年には、県内十五信金では最多の預金一兆円を達成した。県信用金庫協会会長も務め、業界の発展に力を注ぐ。

 「信金は町医者」が持論。「何か困ったことがあれば、とりあえず相談してみようと思われるのが理想。従業員も地元の人間ですから、情報もあるし、親身になれる」。

 早稲田大を卒業し、昭和三十年に入庫。融資部長、専務理事を経て、昭和六十二年から理事長に。十七店舗を開設し、事業所対象の低金利融資制度や個人向け消費者ローンの設置など、融資の拡充に努めた。文化芸術活動の助成制度の創設など、地域支援にも積極的に取り組んだ。

 平成八年から五年間は浜松商工会議所会頭として、会議所の効率的運営を図るとともに、公設民営の新大学として注目された静岡文化芸術大の開学にも尽力した。

 西高入学は終戦の年。教科書も満足になく、不自由な思いもした。仲間とハンドボール部を作ったり、駅伝選手として活躍したのはいい思い出。「校風が優等生的でなく、バンカラで良かった」。

 新制高への端境期で六年間を共に過ごした同級生との親交は厚い。四年前からは忙しい仕事の間を縫って同窓会長も務め、「縦のつながりも密に」と学年ごとの役員を集めた懇親会を始めた。母校には「勉強はどこの学校でもやることだ。西高ならではの人格の育成を考えてほしい」と期待する。

 篠原の農家に生まれ、十歳で父を亡くす。二人の兄は大学や軍隊へと故郷を離れ、戦中は母と二人、苦労した。「忍耐や人と折り合う和の大切さを自然に身につけことが、その後の仕事にも生きた」。

 県教育委員長、県産業教育振興会常任理事、県都市計画地方審議会会長などを歴任し、現在も浜松コンベンションビューロー理事長など多くの公職を務める。

 信用金庫幹部にはほかに、同じ浜松信金の専務理事御室健一郎(昭39卒、初生)、常務理事小倉偉利(昭34卒、上島)もいる。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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