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自由な校風を反映してか、ユネスコ活動に足跡を残すOBは多い。草創期には、市の文化事業に尽力し、後に市の初代社会教育部長や公室長を務めた稲勝正弘(昭6卒、故人)、歯科医師の竹内誠之(昭6卒、故人)が幹部を支えた。 後に会長を務めた二人の志を継ぎ、三十年にわたり活動にかかわってきた前会長糟谷勝一(昭26卒、鴨江)は、「当時の手書きの会報や陳情書から、先輩たちの熱意が伝わります。まさに焦土に文化の種をまいたんですよ」と語る。 協会は、初期には図書館再建のための献本活動や、市民会館や市美術館の建設運動を展開。高校生演劇コンクールや、美術展の開催などに活動を広げた。小中学生の科学教室や市民大学、国際交流・女性セミナーなどは、市の委託事業として現在も続く。 地域の文化活動を奨励する「谷口賞」、中高生の自然科学研究に与える「山本賞」も創設。浜松市図書館への「非戦文庫」の寄付は、昭和四十五年から毎年行っている。 糟谷は、副会長を経て平成二年に会長に就任した。会員が高齢化し、活動が低迷していた時期。専門委員会を作って建て直し、地域へ目を向けた公募企画「はままつ自然百選」などを実施。平成六年には、真新しいアクトで第五十回全国大会を成功させた。 県ユネスコ協会連合会会長、日本ユネスコ協会連盟理事、同副会長も歴任し、現在は同顧問。「空襲で家を焼けだされた自分には、ユネスコの理念がよく分かる。自分が伝えずにだれが伝えるのか、という思いで続けてきた」と語る。 本業は歯科医師。鴨江の口腔保健医療センター建設や浜松歯科衛生士専門学校の設置に尽力し、同校の初代校長、市歯科医師会長も務めた。 現在は県教育委員の要職にもあり多忙だが、同級生の集まりには必ず顔を出す。「新制高への変革期で、六年間を一緒に過ごした仲間。下手なうそはつけませんし、好きなことを本音で言い合える」。 浜松ユネスコ協会会長はこの五月に退任。同じOBの小田木清種(昭26卒、入野)が後を引き継いだ。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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