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第8章「地域の礎」

浜松市の国際交流担う
「国際交流に必要なのは本音と本気、そして遊び心」と語る松尾良一さん=浜松市役所
 「浜松で最も在住外国人に有名な日本人」と言われたOBがいる。国内の他都市に先駆け、昭和五十七年に任意団体として発足した浜松国際交流協会(HICE)に市から出向し、財団法人化の実現まで十七年にわたり事務局を担った松尾良一(昭45卒、白洲)だ。

 発足当初は、商工会議所内に間借り。机一つと電話一本、専任職員はまだ三十代はじめの松尾一人だった。「金もない、人もない、物もない。ないない尽くしで、自分なりに運営を工夫せざるを得なかった。それがかえってよかった」

 人材を求めて外部の手を借りたことで、ボランティアのノウハウが育った。大掛かりなイベントやセレモニーでなく、生活上の支援など身近な視点からの事業は好評を博す。

 浜松を訪れる外国人向けに英文マップを作り、在住者のための生活ガイドブックの英語版や、ビデオガイドも制作した。アンケートを活用し、単なる翻訳でなく独自の情報を盛り込んだ。

 「タクシーのドアが自動なのを知らずにけがをしたとか、驚くような声があった。本当に求められる情報は、本人たちに聞かなければ分からないもの」。要望の多かった日本語教室も開いた。

 活動が知られるようになると、さまざまな相談が舞い込んだ。「重い病気を患った保険に加入していないネパール人を世話したり、フィリピンの出稼ぎ女性が日本人との結婚の手続きを聞きにきたり。まさに駆け込み寺でした」

 活動の安定化を狙いに財団法人化し、現在のフォルテに移ったのは平成三年。バブル崩壊の時期、基本財産三億円のうち、県や市の負担分を除いた二億円近くの資金集めに苦労した。財団法人化の翌年、市国際交流室に戻り、公園建設課主幹を経て現在は観光コンベンション課主幹。

 まだ一般に海外経験の珍しかった大学時代、奨学金で米国に二カ月遊学した。「語学ができると思われるけれど、そんなに堪能じゃない。むしろ言葉ではなくて、人の心や文化の翻訳者でありたいと思ってきた」

 協会発足時には市内に二千数百人程度だった在住外国人も、現在は約二万人。「日本社会はそろそろ本当の意味での国際化、つまり外国人の人権問題などに力を注ぐ時期ではないか」と、今も関心は強い。この七月には個人ホームページ「松尾書店」を立ち上げ、これまでの国際交流関連の著作などを盛り込む予定だ。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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