<84>

第9章「部活動の軌跡」

全国出場重ね強豪校に
連戦連勝の黄金期、能代カップ高校選抜で強豪能代工を相手に互角の戦いを見せる西高(中央は斉藤主将)=平成3年5月、能代市民体育館
▼男子バスケット

昭和四十九年からチームを率いた名監督大石功=現浜松湖東監督=の指導の下、昭和五十二年の県大会初優勝を皮切りに、強豪として台頭。大石が在任した十八年間に、インタハイ六回、選抜三回の全国出場を重ね、二度のベスト8に輝く黄金期を築いた。

大石は校訓そのままに文武両道を重んじ、成績が悪いと「帰って勉強しろ」と練習に参加させなかったという逸話も。「今何をすべきなのか考えろ」「今の時間に集中しろ」が口癖だった。

門下からは、大阪商大―住友金属の足立隆彦(昭53卒、東京都)、同志社―日本電装の鈴木健夫(昭57卒、上浅田)ら、日本リーグで活躍する選手も出た。華々しい黄金期だが、語り継がれる悔しい敗戦もある。

新人戦、春の県大会、東海総体と公式戦を連覇して迎えた平成三年夏。優勝候補の一角として地元開催の高校総体に臨んだが、二回戦の徳島・城東戦でファウルを連発、四人が退場になる波乱の展開で、完敗した。主将だった斉藤利之(平4卒、雄踏町)は「なぜ負けたのかは分からない。気負いもあった」と振り返る。

バスケ部の創部は昭和二十年。天井の低い体育館に、ボール一つのスタートだった。初期には、監督中村敏男(昭5卒、故人)の尽力で全日本制覇の経験も持つ加藤覚をコーチに迎え、浜商、興誠、浜北、磐南と競り合いながら西部のレベルを押し上げた。

卒業後社会人チーム「浜松クラブ」で活躍、県代表として国体で歴戦した前OB会長田中良一(昭26卒、文丘)、同じ浜松クラブで鳴らした県西部バスケットボール協会会長の玉木澄男(昭27卒、市野)らはこのころのメンバー。田中はコーチを経てOB会長を三十七年にわたり務め、浜西バスケを支えてきた。

校舎の火災で体育館が仮教室となり、練習が困難になることもあったが、蛭田建二郎監督時代の昭和四十二年には初のインタハイ出場を果たす。大石監督時代を経て、鈴木和之=現浜北西監督=の下でも、平成五年からインタハイに三度出場。昨年からは新監督に矢田昌久(昭55卒、浜北市)が就任し、母校でさい配を振るう。

中高一貫教育が始まった今年は、中等部から男子は十人が新たに入部。OB会長の大橋敏男(昭41卒、大人見)は「上級生のプレーに刺激を受け、頑張ってほしい」と期待する。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

浜松市立高百年 掛中・掛西百年史 榛原高校百年 引佐高の百年

沼津東高百年 富士宮農高百年 御殿場高 躍進の百年 田方農高の百年

静岡新聞へ