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県西部の高校と県内外の招待チームが集い、毎夏開かれる浜松ユース・サッカー大会は、「二郎杯」の名で親しまれる。地元サッカー少年にはおなじみのこの大会は、浜西サッカー部を長年支え、後には県サッカー協会西部支部会長を相次いで務めた二人の“二郎”が創出した。 昭和二十一年創立の浜西サッカー部は、山本二郎(故人)、児玉二郎の指導の下、昭和二十五年の県大会で優勝。続く国体中部ブロック大会決勝で、長野・県ケ丘高を2―0で破り、団体競技で初の国体出場を果たした。 主将の脇本善男(昭26卒、愛知県)は部史に「多難を乗り越え、夢が実を結んだ」と記す。愛知で開かれた国体では、初戦の広島・修道高戦で0―1と惜しくも敗れた。 昭和三十一年には、東日本選手権ベスト8、東海総体でもベスト4に食い込む健闘も。児玉は後に浜松北高校長まで務めるが「生徒と一つのボールを追いかけたのが、教員生活一番の思い出」と当時を懐かしむ。自らも先輩格の山本と県の教員代表チームに参加、国体出場を重ねた。 その後のサッカー部は、あと一勝に苦しむ時代が続く。再び活気づくのは、平成三年、後に国体代表チームを優勝に導いた名将池谷孝=現湖南高監督=を迎えてから。総体県予選ではベスト8以上をキープし、平成七年、初の準優勝に輝く。 春先の不振を振り払い、勝ち上がった準々決勝。浜西は優勝候補静岡学園高に先制を許したものの、前半で追い付き、後半逆転の末、3―1と引き離した。主将だった小枝善憲(平8卒、薬新)は、「選手層も経験もかなわないと思ったが、練習の成果を出し切った結果」と振り返る。弾みを付け、準決勝の沼津学園高戦でも延長の末、3―2と粘り勝ちした。同年には初のオランダ遠征も実施、貴重な経験を積んだ。 出身のプロ選手には、Jリーグ柏レイソルで活躍する渡辺光輝(平5卒、千葉県)、JFL東京ガスでプレーする岡本淳一(平9卒、入野)がいる。二人は池谷がコーチ、監督を歴任した国体県高校選抜選手として活躍、山形、広島国体でそれぞれ優勝に貢献した。 この春には、池谷の後を継ぎ、県教員チームの代表選手としても活躍する石川竜也が監督に就任。中等部の十五人も加えた約六十五人が、新体制の下、練習に励む。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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