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第9章「部活動の軌跡」

全国3位に2度の快挙
春高バレーベスト4に輝いた浜西チーム=昭和60年3月、国立代々木第一体育館
▼バレーボール部

 戦後誕生したバレー部は、理論派監督の戸田譲が、OBの吉村允宏(昭33卒、住吉)を技術指導に迎えて実力を付け、昭和三十五年、国体に初出場。二年後にはインターハイにも初出場を果たし、全国ベスト8、ベスト16の常連として鳴らす黄金時代を築く。

 昭和三十八年、宇部国体で全国三位となったのが、最初の金字塔。主将小林健治(昭39卒、故人)を中心に、気持ちを一つにして戦った初戦の徳島・小松島西高戦で、薄氷の勝利をつかむ。

 1―2で迎えた5セットマッチの第4セット。浜西は最初からリードを許し、9―13と追い詰められた。「もう駄目か」という重圧の中、じわじわとばん回、16―14でセットを取り2―2に。盛り上がる観衆を味方に第5セットも連取、二時間半の激戦を制した。

 この時二年で、翌年主将を務めた田辺善徳(昭40卒、原島)は「立つことができないほど疲れ果てた」と思い起こす。続く二回戦の大阪・都島工高戦も突破し、準決勝では優勝した神奈川・藤沢高に敗れるが、堂々のベスト4入りを果たした。

 その後は坂上敦志監督の指導で、継続的に全国大会に出場。現監督の佐野徹(昭53卒、有玉台)が主将を務めた昭和五十二年には、インターハイ十回出場で高体連表彰を受けた。森啓彰監督時代の昭和六十年には、春の高校バレーで、再び全国三位に輝く。

 準々決勝の愛工大名電高戦は第3セットまで一進一退の攻防で、三十歳の森は、思わず「俺を男にしてくれ!」と叫ぶ。「やってやろうじゃないか」。この言葉でみなは奮い立ったと西尾哲也(昭61卒、笠井)は記憶する。

 第3セットを15―12で振り切り、辛勝。準決勝は北海道・東海大四高に完敗するが、全国三位は二十二年ぶりの快挙だった。「何より仲間と喜び、励まし合えたことがうれしかった」と感動は今も鮮明だ。

 昭和六十三年、初のOB監督村松喜一郎(昭55卒、小池)の下でのインターハイ出場を最後に、浜西バレー部は全国大会から遠ざかる。四十年来のOB会長小松沢重信(昭26卒、大工)は、「何かいいきっかけをつかんで、強くなってほしい」と復活を望む。

 榊原英明監督を経て、平成九年に赴任した佐野は、西高時代二年連続で春高県予選決勝で破れ、勝負の厳しさを知る一人。筑波大で主将も務めた求心力で“強豪浜西”の再興を期す。

(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)

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