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浜西ボート部には、「森平号」と名付けられたダブルスカル艇がある。西高時代に世界ジュニア漕艇選手権へ出場を果たし、早稲田大大学院で後輩の指導に活躍中の平成十二年、不慮の交通事故で亡くなった太田森平(平7卒、故人)の遺族が寄贈した。 三年の五月全国高校選抜競漕大会シングルスカルで優勝、世界ジュニア漕艇選手権日本代表にのぼり詰めた太田は、その後の部員の目標になる。ミュンヘンで開かれた選手権では、日本人として歴代二位の十七位に。続く十一月の国体でも、腰の不調に悩みながら、二位に食い込んだ。 当時の監督影山久茂=現県総合教育センター指導主事=は、「自分の力を信じ、あきらめない。研究熱心で、外国選手のビデオを擦り切れるほど見ていた」と太田を語る。理数科初の部員で、人一倍の努力家だった。 ボート部は昭和四十八年、西高創立五十周年を記念し創部。漕艇が珍しい時代、加藤久米雄の指導で、創部を呼び掛けた大城一(昭49卒、浜北市)らが佐鳴湖を練習場に手探りのスタートを切った。 現県ボート協会理事長の田中高志が監督に就くと、昭和六十二年から二年連続で、インターハイ舵手付きフォアに出場。六十二年は、コックス鈴木政晴(昭63卒、丸塚)、ストローク小笠原弘樹(昭63卒、佐鳴台)らのクルーで四位の好成績を上げた。 鈴木は現在入野中ボート部顧問を務め、先輩OBで佐鳴台中ボート部顧問の浅沼弘之(昭62卒、富塚)とともに浜松ボートクラブ佐鳴会の運営に協力。小笠原も県ボート協会理事として力を尽くす。 太田の躍進に沸いた翌年には、岩田俊輔(平8卒、入野)が、国体ダブルスカルで天竜林業高の鵜殿敏之と組み、県勢として同種目を初制覇。身長差十五センチの急造コンビは、ラスト二百五十メートルで最後尾からトップへ躍り出た。 平成八年には水野重敏監督=現副顧問=の下、舵手付きフォアで八年ぶり三度目のインターハイに出場。その後は全国に届かない時期が続くが、新監督岡本雅康は「進学校で難しい面もあるが、短時間で効率的に成果を上げていきたい」と語る。 OBには天竜林業高ボート部初代監督を経て、新居高ボート部でインターハイ優勝選手を次々と輩出する小栗正人(昭56卒、和合)も。国体県代表の監督も務め、指導者として高校ボート界を支える。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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