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英語教育を専門とし、教授法の専門書のほか、パブリックスクールの改革に取り組んだ英国の教育者トマス・アーノルドの功績を研究した著作もあり、当時の教育関係者らに愛読された。一方で、自作の漢詩を吟じるなど漢文にも造けいが深く、儒学的な教えを重んじる一面も。 生徒には近寄りがたい存在だったが、ふんどし一枚で浜名湖での臨海訓練に参加したり、運動着でグラウンド整備に汗を流すこともあった。 二代校長の阿部三四(故人)はタフツ大、ハーバード大に学び、初代同様英語に優れた。柔道部や剣道部を創設、松田が「選手の育成はしない」と禁じた対外活動を解禁、自ら黒帯を締めて気合いをかけた。 三代峯田亀太郎(故人)の時には、二十五メートル公認プールを建設。生徒たちと鍬(くわ)を振るった。丸顔の穏やかな笑顔で生徒に慕われたが、在職中に肺炎で急逝した。 それまでの労作教育とは対照的に、受験指導に力を入れたのが、四代六浦嘉一郎(故人)。戦中には、勤労奉仕や学徒動員で苦労した。 五代伊藤新七郎(故人)は、三十八歳から歴代最長の十年在職し、戦後の立て直しに尽力。水泳の古橋広之進(昭20卒、東京都)が世界記録を連発した朗報の一方で、原因不明の校舎火災に遭遇、再建の資金集めに奔走した。 生徒に人望厚く、エピソードも多い。遠足に遅刻した生徒を厳しく指導した教師に反発した高校三回生らが、体育館に立てこもった時のこと。体育館に一人で現れた伊藤は「教師の指導が理解されないのは、わたしの責任。わたしが謝るから教室へ帰ってくれ」と生徒らに頭を下げ、その場を納めた。庄田武(昭26卒、鴨江)は「あの校長に頭を下げさせた、と大きな借りを作ってしまったような気分だった」と振り返る。 また、教室での早弁を「校長室の前で食ってみろ」ととがめられたのに反抗し、校長室の前で弁当を食べていた生徒に、「お茶がなくては食べにくいだろう」とお茶を差し出し、改心させたという“伝説”も残っている。
(文中敬称略、題字は古橋広之進さん=昭和20年卒=)
(火―木曜日に掲載します)
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