(2004年5月19日掲載)
 秋の東海大会 (昭和30年)
3試合連続サヨナラ勝ち

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 昭和30年の浜商野球部ナイン(部誌「闘魂」より)
 昭和三十年、ナインは「粘りの」「逆転の」浜商らしい、誇るべき記録を打ち立て、甲子園行きを決めた。一連の闘いぶりは現在までの語り草。そのドラマ性は、人に高校野球の神髄を伝えてくれる。

 記録の舞台は秋の東海大会。何と浜商は、初戦から優勝までの三試合すべてでサヨナラ勝ちをやってのけた。

 初戦、多治見工(岐阜)戦。浜商は二点を追って九回、二塁に走者を置きながらも二死に追い込まれた。ところがここから西岡鉄夫(昭32卒)、河合禮爾(同)、鈴木敏昭(同)が三連打。同点となり、続く小池兼司(同)の打球はふらふらっと上がって中堅前にぽとり。走者が帰り、がけっぷちから見事に相手をうっちゃった。

 続く豊川(愛知)との準決勝は延長十五回、ランナー二塁から河合が左中間に二塁打を放って試合にけり。日替わりヒーローとなった二人、小池と河合は後にそれぞれ南海ホークス、大洋ホエールズのユニホームにそでを通し、第一線で活躍した。

 極めつけは決勝。一日では収まらなかった。岐阜商と八回まで7―7とお互い一歩も譲らない。最終回…と思ったらここで日没。照明設備がなく続行不能、決着は翌日の再試合に持ち越された。

 仕切り直しとなった闘いもまた接戦。4―4で延長に突入、十回、二塁に古田達男(同)を置いて西岡がセンター後方に打球を運び、計十八イニングに及んだ熱戦にとうとう終止符を打った。

 「それにしてもしんどかった」。再試合を含む四試合の合計イニングは四十二、総得失点差は三。当時を振り返る河合の実感にはうなずける。

 一連の隠れたヒーローは主戦梅田義(同)だろう。梅田は四試合を一人で耐え、投げ抜いた。一六〇センチちょっとの身長だったが緩急がうまく、周囲は「小さな大投手」とたたえた。

 “球場外”の面白いエピソードが一つ。この一年間、先攻後攻を決める試合前のジャンケンでは公式戦十五戦で全部勝った。甲子園二回戦の尼崎戦で初めて負け、試合の方でも敗れてしまった。

(文中敬称略)

(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)