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「史上初の一発」で球史に名を刻んだ高林(中央)
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今春の甲子園。大会屈指の右腕、ダルビッシュ有、真壁賢守両投手を擁して優勝候補とうたわれた東北(宮城)は、初出場・済美(愛媛)の主将高橋勇丞の一発に沈んだ。2点差をひっくり返す逆転のサヨナラ3ラン。勢いが実力差をしのぐ場面が度々生まれる高校野球。記憶に新しいことも相まって、この一戦を鮮明に覚えている人も多いことだろう。
 昭和50年ごろのナイン
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二十九年前の昭和五十年、夏の舞台に同じ光景があった。浜商―石川(沖縄)戦。九回裏二死二塁から浜商の三番打者、高林基久(昭51卒)の打球は大歓声とともにラッキーゾーンに吸い込まれた。当時既に夏五十七回、春四十七回を数えていた甲子園の歴史で、逆転本塁打としては史上初の一発だった。本紙はもちろん、全国紙でも「史上初の離れ業」などの見出しが躍り、高林は一躍、時の人に。まさに高校球史にその名を刻んだ。
◇
試合は浜商が1点を追って九回、伊藤博(同)が出塁したものの二死。いよいよ追い詰められて打順が高林に回った。
高林は冷静だった。この試合、七回に追撃の2点タイムリーを放ち、気持ちに少し余裕があった。狙いは内角一本。二球目、それが来た。
乾いた音を残して右翼へスーッと伸びた打球は、無人のラッキーゾーンへ。高林はずっと両腕を突き上げた格好でダイヤモンドを駆け回った。出迎えた牧野利夫や、のちの監督上村敏正(以上、昭51卒)、投手の鈴木貢(昭52卒)らナインも異常な興奮で、みんなが何と口にしているか分からない。「おー」「だぁぁ」。高林はとうとう足までもつれさせて戻ってきて、ホーム上で坂口哲也(昭51卒)たちと抱き合った。
このころの静岡は華やかなりし“野球王国”時代。昭和四十年代に静岡商、静岡がともに甲子園準優勝、掛川西もベスト8を経験した。浜商はそうした中で、八年間の沈黙を経て登場した全国の舞台だった。続く三回戦で天理(奈良)に屈したものの、「ザ・高校野球」との異名さえ持つこの一戦で浜商の名は全国に知れわたり、人気も不動のものとなった。
(文中敬称略)
(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)
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