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高林基久(昭51卒)が放った甲子園史上初の逆転サヨナラ本塁打(昭和五十年夏)、ついに成し得た甲子園優勝(同五十三年春)。昭和五十年代初め、浜商は輝かしい活躍で甲子園を沸かしていた。
昭和五十五年の選手権、浜商はここでも大いに暴れまくり、夏としては初めてベスト8に名を連ねた。それまでの戦いぶりが“奇跡”とも呼ばれた快進撃だっただけに、この大会での活躍は、浜商が当時の高校球界を代表する名門であることを印象付けた。 ◇
夏の甲子園ベスト8進出を果たした昭和55年のナイン |
初戦は岡山理大付を4―3、2回戦も大分商を1点差で破った。
ベスト8を懸けた3回戦、強豪東北(宮城)が立ちはだかった。東北とは選抜優勝した二年前の春、同じ3回戦で対戦している。
試合は意地と意地とのぶつかり合いだった。東北打線がヒットを打てば、浜商も裏、しぶとい打撃で出塁する。四球があれば浜商もボールをよく選んだ。四回まで浜商が1点のリードを保ち、中盤を迎えた。
五回、浜崎修(昭57卒)がつかまった。連打の後に3ランを打たれ、さらに追加点を献上、逆に3点差をつけられた。
だが、ここから浜商の真骨頂ともいえる攻撃が始まる。その裏、竹内克二(同)の安打に藤田信吾の犠打、山住昌孝のゴロは相手守備のエラーを誘う。山住が二盗成功、小松直樹(以上、昭56卒)の右前打は同点打に。“これぞ浜商野球”を存分にちりばめて、試合を振り出しに戻した。
こうなれば浜商。七回、二死ながら山住、小松が連打で出て、豊田竜夫(同)の打席でヒットエンドラン。見事的中、二者が楽々生還し、2点差に。数十分後、球場には浜商の校歌が高らかに響いていた。 ◇
昭和四十年代から続いていた「野球王国・静岡」はこのころを境にやや低迷する。だが、王国の中心にいたのは紛れもなく浜商だった。そのプレースタイルからほかの本県代表とは何か違う魅力を感じさせた浜商野球に、県民は心の底から酔い、喝さいを送った。
(文中敬称略)
(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)
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