(2004年7月21日掲載)
 7度目の夏の甲子園 (昭和63年)A
ベスト4目前に“魔の9回”

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 熱戦に次ぐ熱戦でファンに感動を与えたナイン
 空は青く、突き抜けるように高かった。昭和六十三年、夏の甲子園準々決勝は前日の雨も上がり、第一試合だというのにグラウンドは既に熱気に満ちていた。浜商―沖縄水産の好カード。一般に「準々決勝が最も面白い」と言われる甲子園だけに、スタンドは超満員の観衆が詰め掛けた。    

 浜商と沖水はチームカラーがよく似ていた。犠打や盗塁を絡める機動力野球。それは両校の指揮官の目指す特徴がよく表れた「上村野球」であり、「裁野球」だった。

 三回、森口毅(平2卒)が二塁打を放ち、山田紀麿(同)が送って岡本将秀(平1卒)がスクイズ。ワンヒットで得点する効率の良い攻撃で一点先制した。

 主戦岡本はよく投げた。八回まで被安打5、2四球。初回以外、二人以上の走者を背負わなかった。辛抱強さには絶対の自信を持つ。なぜか。

 「人生で一番長い一日でした」―。

 岡本が勝利インタビューでそう語った日がある。富士宮西との県予選大会決勝。延長十三回、四時間にわたる激闘の末に岡本自らのサヨナラスクイズで甲子園行きを決めた日だ。この日、打者五十二人、投球数175のまさに未知の世界を戦い抜いていた。

 甲子園でも池田(徳島)、拓大紅陵(千葉)の“東西の横綱”をともに一点差で撃破。つまり、三戦連続で一点差ゲームを経験したわけだ。「マウンドはおれが守る」。ずっと一人で投げてきた岡本には強い自負があった。

 だが、とうとう浜商にとっての“魔の九回”が始まる。先頭に安打を許し、犠打で得点圏へ進まれた。八番上地が同点左前打。なお犠打で二死二塁。

 「がんばれ」「耐えて」。アルプスでは、マウンドを直視できない女子生徒たちが両手をぎゅっと握りしめて祈った。

 「カン」。運命の七球目、上間の打球が乾いた音を残して内野を抜けた。「もう間に合わない」。右翼山田は分かっていたが、本塁へ投げずにいられなかった。「あぁ」。走者がホームを踏んだ少しあと、白球はぼう然と立ちつくす捕手鈴木光敏(平1卒)から大きくそれて転がった。

 熱戦、激戦、死闘。目前でベスト4がかなわなかったナインに、県民は浜松の駅で感謝を込めて「おめでとう」と出迎えた。

(文中敬称略)

(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)