(2004年8月11日掲載)
 春の大会8度目の出場 (平成5年)
ほろ苦い甲子園20勝目

<18>

その手腕で甲子園でも数々の名勝負を繰り広げた上村監督(右)
  三年ぶりに甲子園の舞台に姿を見せた平成五年春、浜商は県勢として初めて開幕戦を戦った。  結果的に3回戦まで進出した大会は、初戦で町立校として初めて甲子園にこまを進めた知内(北海道)と対戦して6―3で退け、続く2回戦は岩国(山口)と激突、球史に残る乱打線を展開した。


記録的乱打線で勝利を収めたナイン
 2―2で迎えた4回、打撃戦が幕を開ける。7番橋爪勝海(平6卒)と榎谷優史(同7卒)の安打などで一死満塁から鈴木雅之(同6卒)が押し出し四球を選び、二死となって打の中心・山本啓輝(同)が左翼に史上十一人目となる満塁弾を浴びせた。

 ところが岩国打線も黙っていない。すぐ裏、4安打に2四球1犠打を絡めて4得点。浜商は5、7回に得点して突き放したかと思えばその都度、追い付かれた。

 10―10の8回表、無死満塁の絶好機をつかんだ浜商は主将宇田雅宏(同)の走者一掃となる決勝タイムリーでしつこい岩国の息の根を止めた。計三十七本。これは両チームが9イニングを戦い終えて記録した合計安打数で、当時の一試合最多安打の新記録となった。

 「打っても打っても打ち返してきた。試合が終わるまで勝てるとは思わなかった」。試合直後、宇田はとても勝者とは思えない疲れ切った表情でインタビューに答えた。

 先発全員の16安打を放たれ、そのうち六人に打点を記録された相手打線のつながりから見ても“試合で勝って野球で負けた”。勝利に沸くスタンドをよそに、甲子園通算20勝目、選抜10勝目の記念すべき白星は、選手たちにとってちょっぴりほろ苦かった。

 3回戦の大宮東(埼玉)戦は一転、投手戦に。主戦橋爪は岩国戦での157投球の疲れも見せず力投したが、延長十回、とうとう力尽き、4―5でサヨナラ負けを喫した。

 大会は、十年にわたって浜商を率い、六度、全国を沸かせた名将上村敏正(現・浜松南監督)の最後の甲子園でもあった。

 ちなみに、この一年前の春の大会から甲子園名物のラッキゾーンが撤去された。その球場で当時、星陵(石川)三年の松井秀喜が三本の本塁打を放ち、夏にはあの“五打席連続敬遠”が社会問題になった。(文中敬称略)

(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)