(2004年8月18日掲載)
 夏の甲子園9度目の出場 (平成12年)
「背番号6」の親子3世代

<19>

福井商に勝ち甲子園で校歌を響かせるナイン
  平成五年夏の甲子園出場以来、低迷を続けた浜商野球部は七年ぶりに全国の舞台に姿を現した。このブランクの長さは、甲子園でも上位進出を果たした静岡、静岡商、掛川西など県内に強豪がひしめいた昭和四十年代に記録した八年間に次ぐ。


チャンスでの得点に喜ぶアルプス
 ナインがはつらつとプレーするグラウンドを特別な思いで見詰める男性がいた。山下兼生は、昭和三十一年の浜商卒業生で野球部OB。同二十九年、浜商が初めて春の大会に出場した時の中心選手で、二年生ながら「浜商随一の遊撃手」と言われた。

 目の前に、孫の鈴木裕也(平14卒)が同じポジションで甲子園のフィールドを駆け回る姿が映る。「自分の姿と重ね合わせたりして、夢見心地でした」と山下。「孫あてのファンレターも、自分のことのようにうれしくてね」とちゃめっ気も忘れない。

 そして、一家にいるもう一人の甲子園経験者。山下の息子で鈴木の叔父に当たる山下晃永である。池田(徳島)、拓大紅陵(千葉)を破ってベスト8に進出した昭和六十三年の時のレギュラーメンバー。晃永もまた遊撃手だった。

 初戦、福井商戦。1点を先制された浜商は七回表、無死一、三塁から松島博隆(平13卒)の犠飛で同点、さらに坂本浩隆(同)の二盗などで二死一、二塁として藤松敬吾(同)が左翼前にしぶとく運んで逆転に成功し、そのまま逃げ切った。鈴木も二打席目に右前打を放ち、存在感を示した。

 兼生は自身の出場時、初戦で優勝候補の泉陽(大阪)に敗れ、個人としてもバットの方で4の0と振わなかった。それが時を超えて息子らの活躍で、「本当の意味で夢がかなった」と実感できた。特に、晃永はスポーツ紙が選ぶベスト9にも選ばれたほど、暴れまくった。「息子や孫が自分と同じ6番を付けて野球をしているなんて、本当に幸せ者」(兼生)。

 この年を境に、浜商は甲子園にこまを進めていない。既に丸四年がたった。「浜商野球は浜商野球たる姿がある。それが今は少し、影を潜めているかな」。兼生は現OB会会長の立場としての叱咤(しった)も込めて、後輩たちにエールを送っている。(文中敬称略)

(水曜日に掲載。題字は沼倉昇校長)