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2章 校史戦後編(4)

切磋琢磨し全国舞台へ


引佐高の平成2年度の学校農業クラブの役員ら。河合は最前列の右端=県立引佐高

 戦後、米国から導入されたホームプロジェクトと学校農業クラブは、ともに昭和二十七年の学習指導要領高校農業科編(試案)で、「総合農業」という科目の中身に位置付けられた。生徒がその土地のよりよき農民となるため体験を重視した教育体系だったが、教師が生徒の家庭を巡回するホームプロジェクトは手が掛かるため、いつしか姿を消してしまった。一方の学校農業クラブは授業の一環としてすべての農業学校に残った。現在、引佐高でも多くの生徒が個人研究を深め、校内で友人たちと切磋琢磨(せっさたくま)し、全国舞台へと挑んでいる。

 県農業高校長会がまとめた「農業教育五十年の歩み」によると、昭和二十五年に発足した日本学校農業クラブ連盟では、当初からニワトリの解体技術やトラクターの操作技術を競う大会を開いていた。昭和三十七―四十八年度には、現在まで続く意見発表や農業鑑定競技がスタートした。核となるプロジェクト発表の方式もこの時期に整う。

 プロジェクト発表というのは、生徒が総合学習の時間などに深めた研究の成果を発表しあう場で、テーマは(1)農業経営や流通(2)技術の改善、普及(3)地域の文化や生活―の三分野に分かれている。各校とも校内予選で代表者を選び、勝ち抜けば県大会、ブロック大会、全国大会まで進む。  現在、引佐高で農場管理の技能員をしている河合史暁(28)=88回、浜北市於呂=は平成二年度の農業クラブ会長を務め、農業鑑定競技の全国大会にも出場した。同競技では種子や葉を見て植物名を当てたり、作物の状態から病気を見極める。出題範囲が広いため、河合は毎日のように放課後、教師の元へ通った。知識を吸収するのは「楽しいが、苦しい時もあった」。努力のかいあって、河合は全国大会の園芸部門で優秀賞を受賞する。

 その年はちょうど同校が県連盟の会場校を務める年で、河合は県内農業高の生徒たちが挑む意見発表やプロジェクト発表の総責任者になった。自分さえ勉強すればよかった農業鑑定競技より、出場者が発表しやすいよう準備する方が何十倍も大変だった。会長職を通じ、河合は「人のために働くのは苦労だ」と学んだ。そして、ほかの役員の協力を得て大会を成功裏に終わらせた時、「苦労は必ず報われる」と知った。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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