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3章 産業技術科の設立(5)完

見据えた改革、先見性評価


車体組み立てロボットの操作を学ぶ長谷川(左)=スズキ湖西工場

ミカンの摘蕾(てきらい)をする山本=県立農林大学校

 全国に先駆けて農業、工業という学科の垣根を取り払い、昭和六十二年に全校を産業技術科一科の複合型職業高校にした引佐高の取り組みについて、元筑波大教授の久保田旺(69)=埼玉県北足立郡伊奈町=は「時代の要請にこたえ、新しい高校教育の方向性を示した意義ある研究だった」と評価する。久保田は昭和五十六―六十一年に文部省の職業教育課教科調査官を務め、同校の研究過程を当時の職業高校を取り巻く状況と照らし合わせて見ていた。

 全国の職業高校、とりわけ農業高が生徒数の減少に悩んでいた昭和五十六年一月、文部大臣の諮問機関「理科教育及び産業教育審議会」は今後の職業教育の在り方について諮問を受ける。同審議会は昭和六十年、「産業構造や就業構造の変化に伴い、農・工・商などの学科区分を超えた複合的な内容の学科を検討すべき」とした答申を出している。

 引佐高の研究はこうした国レベルの検討と並行して進んでいたため、「研究過程もその結果も全国の職業高校の注視の的だった」(久保田)。同校は昭和六十一年に当時の学習指導要領では定めていない産業技術科を設置するが、同科についてはようやく、平成元年の高校学習指導要領の中で明文化される。

 久保田は「いつの時代も先を見据えた改革が必要とされるが、引佐高は時代の過渡期に、十年以上も先を見た研究をした。その先見性を評価したい」と述べた。

 産業技術科の誕生から既に十年以上が経過している。昨年三月に同科を卒業した山本直弘(19)=97回、三ケ日町只木=は現在、県立農林大学校で学んでいる。休日は家のミカン畑を手伝うから手の甲には無数の傷。それでも山本は「早く卒業して家を継ぎたい」と言う。いつか県内一のミカン農家になるのが夢だ。

 もう一人、長谷川一之(19)=97回、三ケ日町三ケ日=はスズキ湖西工場で、軽自動車のサイドボディの溶接を担当している。交代制の勤務は楽ではないが、「仕事はすごく楽しい」。子供のころから好きだった車を、今自分が作っているから。

 二人は小学校から友達で、高校では同じ産業基礎の授業を受けたが、今は全く別の道を歩き始めた。農業と工業―おそらく今後も交わることのない別々の道を。ただ、高校で互いの職業の一片を学んだせいか、相手の苦労や頑張りはよく分かる気がする。

(文中敬称略)
 

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