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4章 農業に残した足跡(4)

肉需要拡大で畜産業に


とんきいグループで「浜名湖そだち」の生産を手掛ける鈴木芳雄
 「カレーでも肉の入っていない時代。肉にかぶりついたのは初めてだった」―。

 全国の銘柄豚が競った昨年の「二〇〇〇食肉産業展―銘柄ポーク好感度コンテスト」で味部門の第一位を獲得したとんきい牧場の鈴木芳雄(52)=64回、細江町中川=は畜産クラブが校内で試作したスモークチキンの味を今も鮮烈に覚えている。

 「畜産担当の小池謙吾教諭(第二十代校長)は夢のある話をして、畜産家になることをしきりに勧めてくれた」。東京五輪を境に国内では肉需要が拡大する。鈴木のほかにも同期の高井孝平(64回)、峯野孝(47)=引佐町狩宿、69回=ら多くの卒業生が畜産業に飛び込んだ。

 鈴木は卒業から一年後の昭和四十三年に母豚五頭で養豚業を始める。平成十年からは県中小家畜試験場が造成した静岡型銘柄豚を「浜名湖そだち」のブランドで出荷、販売する一方、直売店で無添加の手作りハム・ソーセージを消費者に届けている。

 峯野は高校在学中に農協の後継者育成資金で肉用牛の飼育を始めた。ことし一月には県農業経営士に認定され、環境保全型農業を視野に地域農業の発展にも尽くしている。

 酪農では「いなさ牛乳」(引佐郡酪農組合)で伊藤文二(65)=51回、引佐町渋川=と内山富夫(43回)が昭和五十年から正・副組合長としてブランドの確立に尽くす。「昔は小さな牛乳屋だった。新鮮で良質ないなさ牛乳を消費者に認めていただいたおかげ」と伊藤は語る。

 いなさ牛乳は宅配をはじめ、スーパーやコンビニにも販路を拡大し、学校給食では子どもたちに愛飲されている。

 養鶏業の小川敏雄(69)=47回、細江町気賀=は卒業後、父親の跡を継ぎイ草を栽培するが、間もなく養鶏に転換。昭和五十年代になると畜産業は都市化に伴う公害問題に巻き込まれるが、鶏舎を山あいに移転し、堅実な経営を手掛けている。

 「引佐高を出ているというプライドがある」。養鶏業者が淘汰(とうた)される中、生き残った自信をのぞかせた。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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