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4章 農業に残した足跡(5)

大規模経営へ基盤整備


沖通り地区では林(右)と清水がことしも田植えを行った=細江町気賀
 西遠地方でも昭和四十年代になると農業に近代化の波が押し寄せた。引佐郡内の穀倉地帯とされる細江町中川、沖通り両地区をはじめ農家は集落営農組合を設立し、大型機械の導入を図った。

 「米国のような近代的農業はあこがれだった。高校にあった舶来の耕運機を見て、卒業したらおれも買おうとずっと思っていた」。沖通り地区で五十四回卒業の林新治郎(62)=細江町気賀=と清水重夫(62)=同=は昭和四十六年に西部トラクター組合を設立。新品のトラクターでリヤカーを引っ張り、さっそうと田んぼに乗り付けた。

 引佐高柔道部時代にともに汗を流した二人は一日の作業を終えると、翌日の段取りを相談しながら一升瓶を片手に将来について熱く語り合った。

 「大規模経営という同じ目標があった。不安もあったが、二人だからこそやってこれた」と林は語る。基盤整備に合わせて農地を十五ヘクタールにまで拡大。見渡す限り二人の水田となった。

 一方、中川地区では九区営農組合が昭和四十二年に郡内で初めて大型機械を導入していた。組合長を務めた内山正夏(85)=30回、細江町中川=は各地からの視察団に囲まれた当時の光景を今も昨日のことのように覚えている。

 昭和五十年代後半になると、減反政策などを受けて離農者や兼業農家が増加する。農家の高齢化と後継者不足が加わり、請負耕作が広がっていく。

 引佐町奥山地区の金原伝治(60)=56回、同町田畑=は現在は自作地二・八ヘクタールのほかに十八ヘクタールを請け負う。「今では米は作るよりも買った方が安い。しかし、必ず自給自足の時代が来る」。地域の水田を守っているという強い自負がある。

 同町井伊谷地区では野沢忠夫(52回)、高井守衛(56回)、高井勇、高井孝平=ともに64回=が東四村耕運機組合で請負耕作を担っている。

(文中敬称略)
 

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