<31>

4章 農業に残した足跡(9)

農家の技術改良後押し


引佐町森林組合長として「山を守る」と語る前島春光=引佐町井伊谷
 良農良兵―。山田喜徳郎(73)=42回、浜松市舘山寺町=は当時、引佐農学校の教育方針として黒板の上に掲げられていた墨書を今も忘れずにいる。戦争の真っただ中、軍の幹部候補生を目指したが、母親の猛烈な反対で断念。県立農業技術員養成所(現・県立農林大学校)に進む。昭和二十一年に県農業試験場の助手に採用され、四十年代初めに県内で初めて花の専門技術員として国家試験に合格した。

 「農家を指導したのではなく、農家の選んだ道を後ろから手助けしただけ」。食糧増産の大号令の下、浜松市庄内地区では表向きは稲作を行っていたが、一歩裏に入るとキクの花畑が広がっていた。山田は農業改良普及員時代にその光景を目の当たりにした。

 昭和五十八年に県農業試験場園芸部長を最後に退職するまで県内で花の技術指導に尽くした。

 戦後の農政改革の中、全国に置かれた農業改良普及員として西沢初雄(19回)=故人=や源馬唯平(42回)、杉本隆美(同)らも農家の指導に当たった。

 池本雅之(64)=52回、浜松市三方原町=は畜産の普及員として富士北部農業改良普及所(現東部農林事務所)を皮切りに県内各地で農家を指導した。特に自立農家の育成に尽くした。「農家に技術を橋渡しするだけでなく、時代という荒波にもまれてもやっていける農家を育てなければ」という信念が根本にあった。

 引佐町森林組合長の前島春光(68)=49回、引佐町川名=は昭和三十一年から林業の技術員として県内各農林事務所で従事した。「林業が最盛期で要望が多く苦労も多かったが、地元の人とはずいぶんと親しくなり楽しい時代だった」

 県林業技術センター所長を退職した後、平成八年から現職に。木材の価格低迷などで山が荒れたと言われる中、「最後の砦(とりで)として山を守っていかなければならない」と語気を強めた。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

静岡新聞へ