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4章 農業に残した足跡(10)完

第一線退き地元で活躍

 地域農業の発展のため第一線で活躍した卒業生たちは後年、地元農協で地域をリードした。

 細江町農協(現とぴあ浜松)では昭和四十二年から六十一年まで杉浦卓朗(26回)=故人=、井村豪(21回)=故人=、斉藤寛(27回)が歴代組合長を務めた。杉浦は細江町長を退いた後、組合長に就任。有線放送の充実など広報広聴活動の活性化に努めた。井村は細江町農協発足の中川、気賀、西気賀三農協合併(昭和三十五年)に尽くした功労者。杉浦の組合長時代には専務として支えた。斉藤はハウスミカンの産地確立に努めた。

 引佐町農協(現とぴあ浜松)では前身の奥山農協で高田京一(17回)が組合長に就任。合併後は昭和四十九年から平成四年まで久保井定次郎(20回)=故人=、杉山敏男(31回)=故人=、長山新平(79)=36回、引佐町渋川=が組合長に選ばれた。久保井はキウイフルーツを取り入れて普及を図る。杉山は温州ミカンの栽培に力を注いだ。長山は「農協が魅力を失いかけていた時代だったが、組合員のための農協であり続けなければならない」と懸命に財政再建を手掛けた。

 三ケ日町農協では昭和六十一年から平成四年まで中根敏(39回)=故人=、八年から十一年まで石田義昭(70)=45回、三ケ日町大崎=が組合長となった。

 石田は「農協は信用が第一」と畜産不祥事で農協が揺れる中、徹底的な意識改革を行い“農協再生”を方向付けた。石田組合長時代には夏目和武(48回)が専務として補佐した。

 とぴあ浜松常務の木下正美(52)=64回、細江町気賀=は高校時代、生徒会議長、吹奏楽部第二代部長を務めた。青年部を代表として三十五歳で細江町農協理事に就任し、理事会の活性化を図った。「農業高校としての精神・技術を先輩が後輩に受け継ぐ良き伝統がある」。母校への思いを語った。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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