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5章 各界で活躍する卒業生(3)

 首 長 

地域の発展に力尽くす

引佐町への合併前の伊平村長を務めた父宮田匡一の遺影を抱く真雄=引佐町東黒田
 明治三十七年(一九〇四年)、組合立引佐農学校が最初に送り出した卒業生、宮田匡一=1回、故人=の生家は学校から北へ山道を八・五キロほど入った山間の同町東黒田にある。昭和十三年から十七年にかけて引佐町合併前の伊平村村長を務めた。日中戦争から太平洋戦争に戦火が拡大した時代。役場の勤務を終えた後、国債の購入を働き掛けるために村内を奔走。五十五歳で病没した。長男真雄(85)=30回=も農学校に進学した。「山道を自転車通学したが、父親は朝、草履を作ってから同じ道のりを歩いて通ったと言っていた」

 引佐町では前島幸雄=26回、故人=が昭和四十二年から一期、柴田信夫=37回、故人=が昭和五十年から四期、町長を務めた。現助役の八幡和夫(66)=50回、引佐町横尾=は柴田について「“教育町長”と言われたほど教育行政に熱心だった」と語る。

 細江町は気賀町長から合併後の初代町長を務めた杉浦卓朗=26回、故人=をはじめ、早戸新一=32回、故人=、杉山辰雄=43回、故人=が町長になった。早戸は昭和四十三年から連続六期務め、県町村長会などの要職も歴任した。学生時代の早戸は、肩から掛けるカバンのひもを尻の下辺りまで伸ばし、学帽の徽章を折り曲げ、硬派のリーダーの風格を漂わせていた。現収入役の高山博次(56)=60回、細江町中川=は「企業誘致に積極的に取り組むなど先見の明があった。細江町の基盤を作った」と功績を讃える。後を継いだ杉山は二期目途中で病に倒れた。

 学校建設費に充てるため、一束ずつ米を町民から集めるなどアイデア町長として知られた杉浦は町長を退いた後も、農協組合長や県議会議員などの要職に就いた。

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

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