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新野格=9回、故人=は浜松市収入役を昭和二十四年から四十年まで務めた。尾崎勝治(74)=41回、湖西市梅田=は新所村、湖西市の職員として勤め平成六年、助役で退いた。戦争が激化し「学校時代は手榴弾投げなどの戦場運動を良くやった」。昭和十八年十二月に繰り上げ卒業した。併設中学一回生の松野功(69)=45回、浜北市本沢合=も浜北市職員から収入役まで務め上げた。 三ケ日町は宮田茂穂=18回、故人=が収入役を務め、久米一敏(74)=42回、三ケ日町宇志=は東京都職員を定年退職した後、古里に戻り助役を務め町長選にも出馬した。 細江町は鶴見寛彦=38回、故人=が助役を務め、山田誠二(67)=50回、細江町中川=も平成五年から四年間助役に就いた。引佐町は合併前の鎮玉村収入役を仲井好平=24回、故人=が務めた。 教育行政に携わった人材も多い。池谷豊(80)=36回、浜北市於呂=は昭和五十八年から平成四年まで浜北市教育長。「引佐では剣道に熱中。部活などで朝、暗いうちに家を出て、夜は暗くなってから家に帰った。引佐で培った体力や強い意志力が社会に出てから役だったと思う」 井上喜義(83)=33回、引佐町伊平=は浜松聾学校校長から、昭和五十八年に引佐町教育長に就任。「引佐町を生涯学習のモデル地区に」と尽力した。 引佐町長だった柴田信夫=37回、故人=と細江町長だった杉山辰雄=43回、故人=はいずれも教育長を歴任した。杉山は中学校の教員を経験したが、柴田は役場職員から教育長になった。柴田、杉山は実の兄弟。時期こそ違え、兄弟が隣同士の町の教育長と町長をそれぞれ務めたことになる。
(文中敬称略)
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