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5章 各界で活躍する卒業生(6)

経済界(上)

質実剛健の校訓生かす

全英オープン3回の覇者セベ・バレステロス(右)を霞丘カントリークラブに迎える手塚誠・朝日観光社主=茨城県(昭和55年11月撮影)
 経済界にもたくさんの卒業生が飛び出し、大きな足跡をしるしている。筆頭は弁護士でゴルフ場開発と運営の国内パイオニア「朝日グループ」を一代で築いた手塚誠(33回、故人)だろう。

 細江町気賀出身の手塚は、卒業後、青雲の志を抱いて上京。戦前、教師をしながら中央大の夜間部に、戦後も明治大で苦学を重ね、同大在学中の昭和二十二年に難関の司法試験を突破した。

 三十年に不動産賃貸、ホテル経営を目的とする会社を興したのを皮切りに事業を広げ名門、鎌倉カントリークラブなど八カ所のゴルフ場を開いた。五十七年六月、六十三歳で急逝した。

 手塚は東京で事業を続けながら古里と母校に強い愛着を示し続けた。「勉強しないのに成績はいつも上位だったなあ」と同期の元衆院議員斉藤正男(83)=浜松市広沢=。

 再生繊維から産業用資材などを製造する中部・新東海フェルト社長の白井雅之(67)=49回、三ケ日町大崎=は自転車と二俣線を乗り継いで登校した。二、三年と軟式庭球部の部長。

 体が弱かったが、テニスに打ち込んでいるうちに健康に。「質実剛健の校訓通り、粘り強く働くことの大切さを学び、会社経営にも生きた」

 戸田昭朗(67)=49回、引佐町田畑=は地元の戸田建設社長で鍾乳洞の観光地「竜ケ岩洞」の所長。戸田稔(66)=50回、引佐町田畑=は二輪・四輪車のアクセル部品を製造する引佐機器製作所の社長。

 戸田昭朗は、地元の古寺・名刹(めいさつ)を訪れる年間百万人の観光客に目を付け、「滝のある鍾乳洞」を売り込むのに成功した。「泊まり込みの養蚕実習の夜、カイコが桑の葉を食べる、雨が降っているような音を思い出す」

 戸田稔は県内でもトップクラスの規模だった引佐町種鶏改良協同組合にきっぱりと見切りを付け、引佐機器を設立六年で日本ケーブルシステムの協力工場ナンバーワンに育てた。

(文中敬称略)
 

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