<40>

5章 各界で活躍する卒業生(8)

宗教界

土地柄反映し優れた人材
 古くから名前の知られた神社・仏閣の多い土地柄を反映し、僧職や神職にも優れた人材を送り出した。

 臨済宗方広寺派管長を務めた藤森弘禅(大正十四―昭和五十九年)は昭和十八年に引佐農学校に入学した。二年生の三学期中、昭和二十年二月に中退し、二十一年に三島市の龍澤寺に掛塔(かとう=入門)した。

 戦後の混乱の中、二十一歳の青年僧は龍澤寺の本堂、小安観音の前で何を祈り続けたのだろうか。四十七年から五十九年まで方広寺派管長。浜松市上浅田の出身。

 藤森の得度した龍潭寺(引佐町井伊谷)第十九世住職は武藤全裕(68)=旧姓中島克己、45回、併設中学1回)。岐阜市出身。昭和二十一年秋、十八世の弟子に、三十三年、養子に。五十三年から住職。

 「縦割りの農業実習があり、先輩と後輩の規律が厳しかった」と振り返る。漢文の授業中、孔子、孟子を原文で読んだことが、後の僧職の修行とお勤めに役立った。

 細江神社宮司の藤野義夫(74)=細江町気賀、41回=はおよそ六百五十年前から代々続く神職。先祖は井伊谷宮の祭神、宗良親王の家臣。

 昭和十八年十二月に繰り上げ卒業し、戦後、農業をしながら神職を続け、四十三年に細江神社宮司に。平成四年から静岡県神社庁副庁長。井伊谷宮の宮司代務者も務めた。

 熱田神宮権宮司二橋一彦(67)=名古屋市熱田区、50回=は三ケ日町大崎の出身。父親が宮司だったことから神職に。熱田神宮に就職し、愛知県神社庁参事などを務めた。「三年間をテニス部で通したこと、泊まり込みで養蚕の実習をしたことを思い出す」。農業を離れたが庭の盆栽を楽しみながら学生のころを思い出す。

 静岡県護国神社宮司二橋正彦(65)=静岡市柚木、52回=は一彦の実弟。国学院大に進み神職へ。栃木県から昭和三十八年に静岡県護国神社へ。

 「漢文の楽しさを高校で教えてもらった」と感謝する。「よく奥山線で浜松へ出て映画二本を見て丼(どんぶり)ものを食べたなあ」

(文中敬称略)
 

掛中・掛西百年史 榛原高100年史 富士宮農高百年  御殿場高 躍進の百年

静岡新聞へ